障子ヶ岳城は1586年(天正14年)の豊臣秀吉による九州征伐で、小早川隆景と黒田孝高によって攻め落とされた城です。九州征伐では宿舎として利用され、秀吉も入城しました。もともとは1336年(建武3年)に足利尊氏の命により足利駿河守統氏が築いた城で、田河道・秋月道が通る要衝の位置にあったことから度重なる戦乱の舞台となりました。九州征伐後は豊前に入った孝高の持城となり、添田雅楽介が城主をつとめましたが、「城井鎮房の乱」に加わったため廃城となりました。現在城址には土塁や堀切などの遺構が良好に保存されています。また登城口は味見桜公園のほか数カ所あります。
目次
障子ヶ岳城を攻城した団員が残してくださったクチコミ(レビュー)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 味見桜公園駐車場 |
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平の将門の乱以降、藤原道長を中心とした京の都からの圧政に抗い、鬼と呼ばれる者たちを描いた歴史小説です。
賤ヶ岳の七本槍と石田三成を描いた”八本目の槍”が凄く面白かったので、作者、今村翔吾先生の本をもっと読んでみたいと思い購入しました。
以下解説引用。
土蜘蛛、滝夜叉、山姥…などの恐ろしげな名で呼ばれ、京人から蔑まれていた。一方、安倍晴明が空前絶後の凶事と断じた日食の最中に、越後で生まれた桜暁丸は、父と故郷を奪った京人に復讐を誓っていた。様々な出逢いを経て桜暁丸は、童たちと共に朝廷軍に決死の戦いを挑むが―。皆
皆が手をたずさえて生きられる世を熱望し、散っていった者たちへの、祈りが描かれております。
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