別名 舞鶴城、石城
福岡城は黒田孝高(官兵衛)・長政父子によって築かれた城で、江戸時代を通じて福岡藩黒田氏の居城として知られています。城の規模としては九州一の巨城で、築城の名手と謳われる加藤清正もこの城を評価しています。現在、城跡の大半は舞鶴公園として、また当時の外堀が大濠公園として整備されています。さらに重要文化財に指定されている多聞櫓のほか、祈念櫓や名島門などの遺構が残っており、当時の様子をうかがうことができます。
福岡城を訪問した2300人の報告によれば、平均見学時間は1時間15分、平均評価は3.55点となっています。
福岡城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
福岡城に関するデータ 情報の追加や修正
22.3 m( 20 m)
内郭:41 ha 外郭:246 ha
天守があったかは不明。1646年(正保3年)に作成された福岡城を描いた最古の絵図『福博惣絵図』には天守は描かれていないため、幕府への遠慮から天守は造築されなかったとされていたが、近年になって、当時豊前国小倉藩主であった細川忠興が、彼の三男で次期藩主の忠利へ宛てた1620年(元和6年)3月16日付の手紙に「黒田長政が幕府に配慮し天守を取り壊すと語った」と天守の存在を窺わせる記述が発見されたことによって、5重6階、高さおよそ23mほどの熊本城級の天守があった可能性が示されている。
黒田長政
着工 1601年(慶長6年)
1871年(明治4年)
黒田長溥
黒田氏
櫓4棟、門3棟、石垣、堀
国の重要文化財(多聞櫓、二の丸南隅櫓)、国史跡、福岡県文化財(潮見櫓、大手門、 祈念櫓、母里太兵衛邸長屋門)、福岡市文化財(名島門)
二の丸北隅櫓、大手門
登録日:2013/11/17 17:35:47
更新日:2024/12/12 03:27:15
福岡城の見所や歴史などを紹介します。
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