本丸から天守曲輪へ向かうための門が鉄御門(くろがねごもん)です。
1915年(大正4年)6月30日に崩れたそうですが、現在は修復されています。
石段も急で、幅も狭く、とてものぼりづらい要所となっています。
ここから先は特別の者以外は出入りができませんでした。
当時はこの鉄御門の入口には左右に門番が配されていましたが、彼らに門内の状況は一切知らされず、また疑問を口にすることさえ許されていなかったそうです。
上から見ると急であることがよくわかりますね。
石段をのぼった一角は「切腹櫓」と呼ばれ、重厚な鉄板や木材で上下左右とも厳重に仕切られていました。
名前の由来は、敵がここまで攻めてきたら藩主が切腹することを想定していたからだそうです。
そして南側は埋門(うずみもん)になっていて、ふだんは土壁で遮られていたそうです。