黒田節とは、筑前地方に伝わる民謡で、その歌の元となったのは黒田家の家臣、母里太兵衛(母里友信)が福島正則から名槍「日本号」を呑みとったというエピソードです。
文禄・慶長の役が休戦中の頃、黒田長政の命を受け、母里太兵衛が黒田家の使者として京都伏見城に滞留中の福島正則のもとに遣わされました。
太兵衛は「黒田二十四騎」「黒田八虎」に名を連ねるほどの猛将で、また「フカ(サメ)」と評されるほどの酒豪としても有名な武将でした。
太兵衛は長政から「お前は使者なのだから面倒を起こさぬよう酒を勧められてもけっして呑むな」と釘を刺されていたのですが、酒豪という評判を聞いていた正則は何度も酒を勧めます。
「この三升の杯を干せば何でも褒美に取らす」といわれても太兵衛は断りつづけたのですが「黒田の武士は酒に弱い、黒田の八虎は酒に弱い」と挑発したため、黒田の名まで貶められては退くわけにはいかず、ついに挑戦を受けて三升の杯に注がれた酒をひと息に飲み干したそうです。
そして褒美として、正則がかつて豊臣秀吉から賜った名槍「日本号」を所望しました。
正則は家宝ともいえる「日本号」を要求されて面食らいますが、「武士に二言はない」としてこれを褒美として差し出しました。
太兵衛と正則、このふたりのいかにも武将らしいエピソードが「呑取」とも称された日本号とともに筑前民謡として残ったそうです。
黒田節
酒は呑め呑め 呑むならば日本一(ひのもといち)の この槍を呑み取るほどに 呑むならばこれぞまことの 黒田武士峰の嵐か 松風か
尋ぬる人の 琴の音(ね)か
駒をひかえて 聞く程に
爪音(つまおと)高き 想夫恋(そうぶれん)
歌詞はいろいろと微妙にちがうものがあるので、どれが正しいのかはわかりませんが、頭の部分は同じでした。
名槍「日本号」
日本号(にほんごう)は、天下三名槍と呼ばれた槍のひとつです。
(「ひのもとごう」とも読むそうです)
もともとは皇室所有物(御物)でしたが、正親町天皇より室町幕府15代将軍・足利義昭に下賜され、その後も織田信長、豊臣秀吉、福島正則と所有者が変わります。
そして黒田節の元になったエピソードのとおり、母里太兵衛(母里友信)が福島正則より貰い受け、朝鮮出兵の際に自身の危機を救った礼として、太兵衛が後藤基次に与えました。
黒田官兵衛(如水)の死後、後藤基次が黒田家を出奔する際に野村家(基次の娘が母里友信の弟、野村祐勝の長男祐直に嫁いだため)に渡されました。
現在は福岡市博物館の所蔵品として展示されています。
(広島城にもレプリカが展示されています)
ちなみに天下三名槍の残りの2本は結城秀康が所有した「御手杵(おてぎね)」と、本多忠勝が所有した「蜻蛉切(とんぼきり)」です。
福岡市博物館の観光情報
住所 | 福岡市早良区百道浜3-1-1 |
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休館日 |
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開館時間 | 9時30分~17時30分まで(入館は17時まで) |
観覧料 |
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駐車場 | 無料 |
URL | http://museum.city.fukuoka.jp/ |