大濠公園から舞鶴中学校の横を通って平和台陸上競技場に抜ける道に建てられているのが名島門(なじまもん)です。
この名島門は近隣にあった名島城の脇門でした。
「関ケ原の戦い」ののちに黒田長政が筑前に入ると名島城を廃城として、あらたに福岡城を築きましたが、名島城の建物や石垣を資材として流用しています。
その際に名島門は黒田二十四騎のひとりである林掃部に与えられ、邸宅の門として使用されていたそうです。
明治時代以降、民間に払い下げされていましたが、戦後に現在の場所に移築されました。
福岡市指定文化財(建造物)名島門(なじまもん)
昭和53年3月30日指定
この門は、天正15年(1587)小早川隆景が多々良川口の名島の陵端に築いた名島城の脇門で、慶長年間(1596~1614)黒田長政が居城を名島城から福岡城に移すとき、黒田24騎の一人である林掃部(はやしかもん)にさげ渡され、邸宅の門として使用されていたもので、「名島ひけ」と呼ばれた名島城の数少ない遺構の一つです。
明治の中ごろ、長崎に移築されそうになったのを、当時の代議士平岡浩太郎氏によって買い戻され、天神の自宅の門として使用されていましたが、戦後富士ビルの建設に伴い、平岡浩氏(浩太郎氏の孫)によって現在地に移されたものです。
昭和63年2月 福岡市教育委員会
反対側から見るとこんな感じです。
ジョギングコースになっているようで、訪問した日も地元のランナーがたくさん走っていました。