名島城はもともとは立花山城の出城として築かれた城ですが、豊臣秀吉が九州平定を果たした後にこの地は小早川隆景に与えられ、隆景は名島城を大改修して居城としました。三方を海に囲まれた海城で、隆景が築いた三原城と同様、水軍の根拠地としての性格の強い城でした。文禄・慶長の役の際には秀吉は淀殿を伴って、この城に立ち寄り宿泊しています。「関ケ原の合戦」後に筑前を与えられた黒田長政によって廃城とされました(資材は福岡城に流用)。現在城址は名島城址公園や名島神社として整備され、天守台の一部が残っています。また城門のひとつが「名島門」の名で福岡城近辺に移築され現存しています。
目次
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26 m( 26 m)
内郭:-- 外郭:--
立花鑑載
着工 天文年間(1532年〜1555年)
1602年(慶長7年)頃
小早川隆景
小早川隆景、小早川秀秋、黒田長政
土塁、天守台跡、城門3棟(福岡城、崇福寺、宗生寺に移築現存)
項目 | データ |
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曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 海城(平山城) |
標高(比高) | 26 m( 26 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 立花鑑載 |
築城開始・完了年 | 着工 天文年間(1532年〜1555年) |
廃城年 | 1602年(慶長7年)頃 |
主な改修者 | 小早川隆景 |
主な城主 | 小早川隆景、小早川秀秋、黒田長政 |
遺構 | 土塁、天守台跡、城門3棟(福岡城、崇福寺、宗生寺に移築現存) |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/03/19 14:40:56
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 名島神社参拝者用駐車場 |
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この本は日経新聞の土曜朝刊別刷に掲載中の「何でもランキング(1〜10位)」の旅に関する記事をまとめたもの(2019年8月発行)。《第1部、絶景を見に行く》のコーナーには「闇夜に浮かぶ城、冬こそ必見」、《第2部、そぞろ歩きを楽しむ》には「1日で散策満喫、ほどよいサイズの城下町」のページがあってそれぞれ10の城と城下町が紹介されています。松本城と弘前城は両方にランクイン、また「〜城下町」の方にはこうの団長のコメントや「調査の方法」のところには「お城ファンサイト「攻城団」などの推薦や…」というちょっと嬉しい表記も。
たまには攻城しないお出かけ先を探してみようと久しぶりに書棚から出したのですが、やっぱり「城、城下町」のページを真っ先にチェックしました。さて、同行者の満足ポイント(街歩きと地元の食やお酒)があって、ほどよく攻城できる次の行き先はどこになるかな。
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