名島城はもともとは立花山城の出城として築かれた城ですが、豊臣秀吉が九州平定を果たした後にこの地は小早川隆景に与えられ、隆景は名島城を大改修して居城としました。三方を海に囲まれた海城で、隆景が築いた三原城と同様、水軍の根拠地としての性格の強い城でした。文禄・慶長の役の際には秀吉は淀殿を伴って、この城に立ち寄り宿泊しています。「関ケ原の合戦」後に筑前を与えられた黒田長政によって廃城とされました(資材は福岡城に流用)。現在城址は名島城址公園や名島神社として整備され、天守台の一部が残っています。また城門のひとつが「名島門」の名で福岡城近辺に移築され現存しています。
名島城を攻城した団員が残してくださったクチコミ(レビュー)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 名島神社参拝者用駐車場 |
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平の将門の乱以降、藤原道長を中心とした京の都からの圧政に抗い、鬼と呼ばれる者たちを描いた歴史小説です。
賤ヶ岳の七本槍と石田三成を描いた”八本目の槍”が凄く面白かったので、作者、今村翔吾先生の本をもっと読んでみたいと思い購入しました。
以下解説引用。
土蜘蛛、滝夜叉、山姥…などの恐ろしげな名で呼ばれ、京人から蔑まれていた。一方、安倍晴明が空前絶後の凶事と断じた日食の最中に、越後で生まれた桜暁丸は、父と故郷を奪った京人に復讐を誓っていた。様々な出逢いを経て桜暁丸は、童たちと共に朝廷軍に決死の戦いを挑むが―。皆
皆が手をたずさえて生きられる世を熱望し、散っていった者たちへの、祈りが描かれております。
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