福岡城の遺構は築城当時の位置に現存する多聞櫓だけです。
別名「武具櫓」とも「西平櫓」とも呼ばれる、この多聞櫓は1971年(昭和46年)12月28日に国の重要文化財に指定されています。
この多聞櫓は石垣に沿って、多くの石落としを備えた防衛用の平櫓で、平時においては武器庫として使用されていました。
また、有事の際には編んでいる竹がすべて弓の矢になり、それらを結んでいる干しワラビは食料になるといった工夫もされていたそうです。
多聞櫓がある南丸(みなみまる)は二の丸南郭(にのまるみなみくるわ)とも呼ばれている場所で、二の丸の南側に張り出す形になっています。
冠木門をくぐると南丸で、右手に多聞櫓が見えます。手前にあるのは井戸です。
この多聞櫓は切妻造の2重2階の隅櫓と、長さ三十間(54m)におよぶ平櫓で、1853年(嘉永6年)から翌1854年(嘉永7年)にかけて大改修されました。
城内から見て、多聞櫓の右手にあるのが北隅櫓(南二の丸北隅櫓)です。
なお、この北隅櫓は、1972年(昭和47年)10月から1975年(昭和50年)年3月まで、2年半の歳月をかけて解体と復元が行われた際に復元されたものです。
多聞櫓の内部は通常、突き抜けの状態とされていますが、福岡城の多聞櫓は16の小部屋にわかれています。
また内部は見学できませんが、特別公開時には中に入れるそうです。
反対側の隅櫓が南隅櫓(二の丸南隅櫓)です。
この南隅櫓も国の重要文化財に指定されています。
多聞櫓は少し奥まった位置にあるためわかりにくいかもしれませんが、福岡城唯一の遺構ですので、ぜひ立ち寄ってください。
桜の季節には夜にライトアップされるそうですよ。
多聞櫓
南丸(二の丸南郭)にある国指定重要文化財の多聞櫓は、江戸時代から城内に残っている数少ない建物のひとつです。二層の隅櫓とそれに連なる三十間の奥行をもつ平櫓からなります。高く積み上げられた石垣を土台に築かれ、「石落」が備えられていることから、いざというときの防御のための櫓と考えられています。
また、現在の多聞櫓は後世の改修を受けたものと考えられ、平櫓は嘉永6年(1853年)から翌年にかけて建て替えられたものです。戦後、現在の西日本短期大学の学生寮として使われたこともありました。
なお、平櫓の内部は、一般に突き抜けの状態となっていることが多いなか、本櫓では、十六の小部屋に別れています。この多聞櫓の内部は非公開となっていますが、イベント時等に一般公開しているほか、桜の季節にはライトアップされ、幻想的な空間をつくりだしています。Tamon Turret
Tamon Turret in Minamimaru (the south section of Ninomaru) is one of the few castle structures that have survived the Edo period, and is designated as an important cultural property by the goverment.
The turret is believed to have played a defensive role as it was built on a raised stone foundation and equipped with machicolations through which defenders could drop stones on incoming enemy soldiers.