福岡城
福岡城

[福岡県][筑前] 福岡県福岡市中央区城内


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.43(130位)
  • 見学時間:1時間17分(71位)
  • 攻城人数:946(61位)

鴻臚館(こうろかん)跡

福岡城があった場所は平安時代、「鴻臚館」という外交施設があったとされています。
鴻臚館は平安京、難波、筑紫の三ヵ所に設置されていました。

「古代アジアの玄関口」と称される鴻臚館の名前は、古代中国で外国との交渉を司る「鴻臚寺」に由来し、「鴻」は大きい、「臚」は伝え告げるという意味があるそうです。
「鴻臚」という言葉は外交使節の来訪を告げる声を意味していました。

なかでも筑紫の鴻臚館は、飛鳥・奈良時代には筑紫館(つくしのむろつみ・つくしのたち)と呼ばれ、688年(持統2年)には新羅国使全霜林を筑紫館でもてなしたという『日本書紀』の記述や、736年(天平8年)に筑紫館で遣新羅使が詠んだとされる歌が『万葉集』に収められています。

1995年(平成7年)には鴻臚館跡地に展示館が完成し、内部では遺構の出土状態と復元建物、また出土遺物を見ることができます(入場無料)。
現在までに確認された遣構は、奈良時代以前(筑紫館)の塀と門、奈良時代(筑紫館)の塀と掘立柱建物、平安時代の大型礎石建物、土壙、溝などです。中国越州窯青磁をはじめ長沙窯磁器、荊窯白磁、イスラム陶器、西アジアガラス器など国際色豊かな遺物が発掘されています。

かつてここは福岡ダイエーホークスなどが本拠地とした平和台野球場があった場所で、球場の改修工事中に遺跡が発見されたそうです。

史跡 鴻臚館跡(こうろかんあと)
 鴻臚館(筑紫館、つくしのむろつみ)は古代(飛鳥・奈良・平安時代)の迎賓館(げいひんかん)に相当し、日本の3カ所に設けられましたが、遺跡(いせき)の存在が確認されたのは、この筑紫の鴻臚館のみです。
 福岡市教育委員会では、1999(平成11)年から平和台野球場(へいわだいやきゅうじょう)跡地で鴻臚館跡の発掘調査を続けており、これまでに鴻臚館が周囲より4mほど高い台地の上に造られていたこと、中央の堀(ほり)をはさんで南北に二つの建物があり、何度か建て替えられていたこと、南北を行き来するための橋が架けられていたことなどを確認しました。
 野球場跡の調査終了後に全体的な整備を行う予定ですが、すでに調査が終了した南半部分について一部整備を行い公開するものです。奈良時代前半頃の南北二つの建物を囲む塀(へい)跡、塀の南西外のトイレ跡、堀、橋(土橋)などを、それぞれの場所に地表表示しており、遺構(いこう)はその地下に保存されています。実物大のスケールから鴻臚館の建物の大きさを実感していただければ幸いです。
Korokan Ruins
Korokan (Tsukushi-no-murotsumi) was a guesthouse from the latter half of the 7th century to the first half of the 11th century. Though three guesthouses were said to have been established in Japan, Korokan is the only one whose location has been confirmed.
Fukuoka City Board of Education has continued the excavation of Korokan at the ruins of Heiwadai Baseball Stadium from 1999. As a result of the excavation, we were able to discover the following: Korokan was located on a plateau, there were two buildings to the north and the south of the central moat, the buildings were reconstructed a few times, and there was a bridge over the moat.
We will conduct general maintenance over the grounds after investigating the ruins of the baseball stadium. However, the soouthern half of the stadium has already been investigated, and the portion where maintenance has taken place is available for public viewing.

鴻臚館は9世紀前半までは、唐や新羅の使節を接待・宿泊させる迎賓館として使われ、その後は中国との貿易の舞台となりました。
11世紀後半に貿易拠点が鴻臚館の東の砂丘にある博多に移るまで、古代日本最大の国際交流の拠点として使われました。

史跡(しせき) 鴻臚館跡(こうろかんあと)1
鴻臚館(こうろかん)の役割
 鴻臚館は、外国からの賓客(ひんきゃく)をもてなし、滞在させるために平安京(へいあんきょう)・難波(なにわ)と筑紫(つくし)の3カ所に設けられた施設で、筑紫の鴻臚館は古くは筑紫館(つくしのむろつみ)と呼ばれました。
 奈良(なら)時代までは外交専用の施設で、中国(唐(とう))や朝鮮(新羅(しらぎ))からの使節は、来日するとまずここに収容され、朝廷の許可を得ると京へ向かい、帰国の際にも筑紫から船出しました。我が国の遣唐使(けんとうし)や遣新羅使(けんしらぎし)、留学生などもここから船出するなど、筑紫の鴻臚館は外国への直接の窓口としての役割を担(にな)っていました。
 平安(へいあん)時代になると、やがて外交使節の来日が途絶えて遣唐使も廃止され、かわって唐や新羅の商人の来航が増加します。商人らは朝廷の許可を得て交易(こうえき)を行い、鴻臚館は外交の場から交易の場へと変容していきました。

鴻臚館跡(こうろかんあと)の発見
 近世まで、鴻臚館の故地(こち)は現在の博多駅北方付近とする説が一般的でしたが、大正時代に九州帝国大学医学部教授であった中山平次郎(なかやまへいじろう)が「万葉集(まんようしゅう)」遣新羅使(けんしらぎし)の歌に描写された情景などをヒントに、鴻臚館を現在の位置に推定しました。しかし戦後は、福岡国体の競技場やその後の市民野球場への改修工事などにより破壊され、鴻臚館の遺構(いこう)は消滅したとも考えられていましたが、1987年の平和台(へいわだい)野球場外野席の改修工事に伴う発掘調査により、遺跡(いせき)が良好に残っていることが判明しました。

福岡市による調査
 福岡市教育委員会では1987年の発見を契機として、翌年から鴻臚館跡調査研究指導委員会(こうろかんあとちょうさけんきゅうしどういいんかい)の指導助言のもと、全容解明のための発掘調査を行っています。
 第I期調査は、現在の「鴻臚館跡展示館」とその周辺を対象に実施し、終了後に仮設備を行い、1995年から一般公開しています。第II期は福岡城(ふくおかじょう)三ノ丸の西側、第III期は第I期調査部分の周辺を対象に調査を実施しました。
 1998年には平和台野球場が撤去され、跡地の調査を開始しました。面積が広大なため南北に二分し、南半部(第IV期)を1999〜2005年に、北半部(第V期)を2006年から調査しています。
 今後も、鴻臚館の全容解明にとって必要と考えられる地点について調査を行っていく予定です。
史跡(しせき) 鴻臚館跡(こうろかんあと)2
鴻臚館(こうろかん)の変遷(へんせん)
 鴻臚館は堀(ほり)で隔てられた南北二つの客館(きゃくかん)で構成されており、うち北側は文献に残る「鴻臚北館(こうろほっかん)」に相当するとみられます。鴻臚館の造営(ぞうえい)以前は、二本の丘陵(きゅうりょう)が東へ伸び古墳(こふん)が造られていました。これまでの調査により、大きく三時期の建物群の変遷が明らかになりました。

【第I期/7世紀後半】
 堀の南側に4棟の堀立柱建物(ほったてばしらたてもの)が直角に配置され、北側に1棟の掘立柱建物とこれを囲む柱列(はしられつ)があります。堀の南と北では建物の向きや配置が異なっており、次の第II期のように規格的ではありません。

【第II期/8世紀前半】
 造営に先立ち、堀の一部が埋め立てられ、北斜面には高さ4m以上の土留(どど)めの為の石垣が築かれています。この堀をはさんで、南と北に全く同じ方位・規模の区画が造られています。「布堀(ぬのぼ)り」と呼ばれる工法を用いて柱を立て並べた塀(へい)で、東に門を設けています。また、区画の南西外にはそれぞれトイレを設けているほか、堀の西端には陸橋(りっきょう)を、東側には土橋(どばし)、のちに木橋(きばし)を造って南北の連絡路としています。

【第III期/8世紀後半〜9世紀前半】
 礎石(そせき)を用いた大型の建物へと造り変えられています。堀の南側では並行する南北方向の2棟とこれに直交する東西方向の1棟を、北側では東西方向の建物1棟を確認しました。堀は埋められて更に狭くなっています。

【第IV・V期/9世紀後半〜11世紀前半】
 建物は発見できませんが、廃棄土坑(はいきどこう)(ゴミ穴)がいくつも掘られており、土坑の出土品から瓦葺(かわらぶ)きの建物が存続していたと推定できます。

【鴻臚館の廃絶】
 11世紀中頃以降は、鴻臚館に関する遺構(いこう)や出土品が全く見られなくなり、1047年に「大宋商客宿房(だいそうしょうきゃくしゅくぼう)」放火犯人を捕縛(ほばく)した記録を最後に文献から姿を消す状況によく合致します。

明治通り沿いには平和台球場記念碑がありました。

鴻臚館跡展示館の観光情報

住所福岡市中央区城内1
開館時間9:00~17:00(入館は16:30)
休館日年末年始(12月29日~1月3日)
入館料無料
   
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神奈川中世城郭図鑑 (図説 日本の城郭シリーズ 1)

神奈川県にある中世城郭100城が紹介されています。
私のオススメポイントは、縄張り図が多数掲載されていることです。(精密縄張り図76枚)
中世城郭を攻城する時、縄張り図があると楽しさが拡がりますからとても重宝しています。
また本書では遺構の状態も詳しく解説されているので、攻城の際の予習復習に活躍間違いなし。

やすまろさん)

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