東御門は大手門から三の丸を抜けて二の丸に入る際に使われた主要な門でした。
現在は石垣のみですが、当時はこの門の東側石垣上には2重の炭櫓(高矢倉)が、西側には革櫓と呼ばれる櫓が設けられていたそうです。
かなり幅が広い門ですが、右に折れ曲がっていて、防御力もかなり高そうです。
坂をのぼったところが二の丸(東二の丸)で、二の丸御殿が建てられていました。
東御門跡(ひがしごもんあと)
福岡城は初代福岡藩主・黒田長政(くろだながまさ)が、慶長(けいちょう)6年(1601年)から7年がかりで築城しました。ほぼ現在の舞鶴公園にあたる内城は天守台、本丸、二の丸、三の丸の4層に分かれ、潮見櫓(しおみやぐら)、多聞櫓(たもんやぐら)、花見櫓(はなみやぐら)をはじめとする47もの櫓がありました。
城内の建物や石垣は、火災による焼失や自然災害による崩壊などによってしばしば修復が行われたほか、江戸期を通じて若干の改変がありましたが、築城当初の縄張に大きな変化はなかったようで、内城部分で41万m2(東京ドーム9個分)の広さを誇った雄大さを今も感じることができます。城下の武家屋敷まで含めると246万m2(東京ドーム53個分)もの広さを持つ、日本有数の広大な城です。
現在地の「東御門跡」は、「三の丸」と「二の丸」をつなぐ門で、ここから二の丸、本丸、天守台へと城内を登っていくメインルートでした。三の丸には、藩主を支える家老職の屋敷群がありました。East Gate Ruins
Fukuoka Castle was one of the largest castles in Japan with four floors, 47 turrets, and samural quarters spanning over 2.46 million square meters. The East gate provided access between the second and third baileys, and it was part of the main route to the second bailey, the castle keep, and to the castle tower. The third bailey contained the residences of the chief retainers to the feudal lord.