豊前長野城は畝状竪堀の数が日本一の城として知られています。平時盛の六男で、長野氏を名乗ることとなった平康盛によって築かれました(もともとこの地にいた中原系長野氏による築城説もあり)。やがて長野氏は大内氏に属し、1558年(永禄元年)に毛利氏が大内氏を滅ぼすと、長野氏は毛利氏の勢力下に入りました。その後、毛利氏と大友氏は和睦すると、大友氏から城の明け渡しを要求され、これを長野氏が断ったため攻められ落城しました。1587年(天正15年)の豊臣秀吉による九州征伐のあと、筑前国に小早川隆景が入ると長野氏はその家臣となって移り、廃城となりました。現在城址には土塁や曲輪跡のほか、城の周囲に200条以上の畝状竪堀を確認することができます。
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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