津村城は津村秀保によって築かれたと伝わる城です。戦国時代、津村氏は大友氏に従っていたため、龍造寺隆信に攻められ落城しました。このとき城主の津村大助秀門は討死しています。「関ケ原の戦い」後の1601年(慶長6年)に田中吉政が柳河に入封すると、家臣の榎津加賀右衛門が三千石を領して城代となりましたが、元和の一国一城令により廃城となりました。現在城址は二の丸跡に八幡神社があり、参道入口の近くに案内板が建てられています。神社の南側にある農業用水路は水堀の遺構のようです。
項目 | データ |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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鎌倉時代をおさらいしたくて手に取った本です。愚管抄を著した天台座主慈円が現代口調で語る鎌倉正史なのですが、そこは、慈円が語るのですから、北条中心の吾妻鏡の「変だなポイント」をちゃんとついています。そして4コママンガがついていたり、とてもわかり易く読み進められます。この本を読んだからというわけではないですが、鎌倉時代をおさらいして感じたのは、現代と当時の人のものの感じ方の違いです。どちらがいいとかじゃなくて、物事への優先順位の付け方が全く違うのです。うまく説明できないのですが…。みなさんはどう思われますか?
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