直鳥城は蓮池氏の一族である犬塚氏の居城として知られています。縦横に巡る堀と大小の島で構成された、中世の環濠集落の構造をそのまま活かした縄張りとなっています。犬塚氏は崎村城の東犬塚家、蒲田江城の西犬塚家、そして直鳥城の直鳥犬塚家(直鳥家)にわかれ、三犬塚と呼ばれました。その後、三犬塚は少弐氏と龍造寺氏、さらには大友氏の争いに巻き込まれ、最終的に直鳥犬塚氏の当主、犬塚鎮家は龍造寺隆信に一度は肥前を追われたものの、のちに隆信に請われて肥前に戻り、龍造寺家臣の中でとくに武勇に優れた四人、両弾二島(両弾二志摩)のひとりとして活躍しました。現在は佐賀平野独特の農村景観として、直鳥クリーク公園として整備されています。光顕寺西側の小さな島(曲輪)に直鳥城の石碑が建てられています。
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駐車場 | 直鳥クリーク公園駐車場(無料) |
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鎌倉時代をおさらいしたくて手に取った本です。愚管抄を著した天台座主慈円が現代口調で語る鎌倉正史なのですが、そこは、慈円が語るのですから、北条中心の吾妻鏡の「変だなポイント」をちゃんとついています。そして4コママンガがついていたり、とてもわかり易く読み進められます。この本を読んだからというわけではないですが、鎌倉時代をおさらいして感じたのは、現代と当時の人のものの感じ方の違いです。どちらがいいとかじゃなくて、物事への優先順位の付け方が全く違うのです。うまく説明できないのですが…。みなさんはどう思われますか?
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