二の丸公園の北側には江戸時代の武家屋敷跡があります。
案内板の内容を紹介します。
武家屋敷跡
中津城二の丸の北側である当地には、江戸時代から続く一軒の武家屋敷が建っていました。
1829〜1833年の間に作成された「中津城下絵図」(中津市歴史民俗資料館蔵)には、奥平藩士「竹下義兵衛(たけしたぎへい)」の名前が見えます。
「竹下義兵衛」は奥平家三河以来の譜代の家臣である竹下氏の一族です。享和三年(1803年)の「江戸家中分限帳」の供番格の項には「竹下義兵衛一高十人扶持」と記されています。
木造、藁葺き、平屋の住宅で、建築年代は不明ですが、江戸時代の十人扶持供番格の屋敷を伺い知る貴重な資料であることから、昭和60年6月20日建物が中津市指定文化財に指定されました。
建物は藁葺き部分が桁行9.756m、梁間4.984mの寄棟造で、入口には土塀と門がありました。
平成20年12月25日、当時の持ち主であった大江家より中津市に建物が寄贈されました。中津市教育委員会では、建物の保存が第一と考えましたが、調査した結果、老朽化が進んでいたため、やむをえず解体せざるをえないと判断しました。ただし、江戸時代の貴重な建物であることから、建物の構造を記録し、状態のよい柱など一部の部材については教育委員会が大切に保管することとしました。
解体後は、建物の基礎石を現地保存しました。建築当時の武家屋敷の形状を解明することはできませんでしたが、後世の増築部分を除いた、江戸時代から伝わる建物中心部を表示しています。
こんな感じで当時の間取りがわかるようになっています。