中津城の北西側、中津川の河川敷です。
こちらには古代山城の石垣があります。
この手前に出っ張ってる部分がその石垣です。
唐原山城から持ってきた加工石なので、むしろ一段下がっている新しい石垣のほうが細かい石で積まれていますね。
河川敷に案内板があります。
古代山城の石垣と鉄門跡
川沿いの石垣には四角く加工された石が多用されています。これは、川上の福岡県上毛町にある古代(7世紀)の遺跡「唐原山城(とうばるやまじろ)」(国指定史跡、旧:唐原神籠石)から持ちだされた石で、直方体の一辺が断面L字型に削られているのが特徴です。黒田時代の石垣は通常「未加工の自然石」を用いますが、黒田は古代に加工された石を持ち込んで石垣を造りました。(写真赤線部分)
四角に加工された石垣にはさまれた未加工の自然石の石垣(写真青線部分)は細川時代には造られていたと思われます。 慶長5年(1600)に入国した細川は、中津城の改修工事をはじめます。
元和6年(1620)には、22の櫓と8つの門が設けられており、この場所には鉄門が造られました。鉄門はトンネル状になっており、門の中の階段を登ると本丸内に通じていました。
鉄門とはその名の通り扉の表面に鉄板を貼り付けた強固な門で、幕末の絵図にも鉄板をはった扉が描かれています。門の上には長屋状の櫓が建てられていました。現在、鉄門跡は埋められ、石でふさがれています。2011年10月 中津市教育委員会