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ここの石垣は1590年頃に築造されたと考えられています。ここは臼杵城下を一望できる場所であったため奥まった位置にある天守の代わりとして比較的早い時期に櫓が置かれたと思われています。
あの島津をも撃退したというのはこの大砲の威力が他の武器とは桁違いだったということがよくわかります。
当時は別名で「国崩(くにくずし)」とも呼ばれていました。 たった一門で国を崩すほどの破壊力を持っているというのをよく表した名称だと思います。
築城当時は本丸、二の丸は海に囲まれた丹生島と呼ばれた島で卯寅口から直接海に出れたそうです。 海に面した部分は岩盤が剥き出しになっています。
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