行幸橋(みゆきばし)のそばに加藤清正の像が建てられています。
甲冑と長烏帽子でなんとも勇ましい姿です。
加藤清正公 永禄五年〜慶長十六年
日本三名城の一つに数えられる熊本城を築いた加藤清正は、天正十六年(一五八八)肥後半国の領主として隈本城に入り関ヶ原の戦い後、肥後五十四万石の大名となる。 この間、熊本城の築城に着手し慶長十二年(一六〇七)完成させたといわれ、隈本を熊本と改名した。土木治水をはじめ城下町の形成に力を注ぎ、現在の熊本市発展の基礎を築いた。 今でも「清正公(せいしょこ)さん」と親しまれ、多くの人びとの崇敬を集めている。