二様の石垣の築城年代について
熊本地震後の石垣修復工事に伴う調査の結果、現在は拡張部分の石垣は細川忠利入封後ではなく、それより前、加藤忠広の時代に築かれたと考えられています。ただし確定するにはまだ情報が不足しているので、調査結果などの発表を踏まえながら今後このページの記述も更新していきます。二様の石垣は熊本城の見所のひとつであり、もっとも有名な写真撮影ポイントです。
熊本城は加藤清正が築き、のちに細川忠利が城主として入ることになりますが、加藤時代の石垣を細川時代に拡張しています。
その様子がはっきり見て取れるのがこの二様の石垣です。
ちなみにこの石垣は本丸御殿を増築するために積み足されました。
また、この石垣は同じ「打込み接ぎ」の積み方でも両者の時代には隅石(石垣の角)の積み方に違いがあります。
加藤清正といえば石垣のイメージが強いですが、より傾斜が急角度なのは時代があとの細川時代なのです。こうして傾斜のきつい石垣を築けるようになったのは、長方体の石の長辺と短辺を交互に組み合わせる「算木積み(さんぎづみ)」という工法が開発されたことによります。
二様(によう)の石垣
ここの石垣は隅部の反り(勾配)や積み方が著しく異なっている姿が同時に観れることから「二様の石垣」と云われている。
向かって右手、隅部の勾配が緩やかな石垣が築城当初の加藤時代のものと考えられ、左手は細川時代になって増築されたもので勾配が急になっている。
隅部の石の形や積み方にも違いが観られ、重ね積みから算木積みへと時代による石積み技術の進歩が解かる貴重な資料となっている。また、不揃いの石を使っている加藤時代の積み方(乱れ積み)と、比較的同じ大きさに加工した石を使い整然と積み上げる(布積み)細川時代との違いも平部において観ることができる。
●隅部の積み方の違い
重ね積み・・・・同じような大きさの石を積み重ねる積み方
算木積み・・・・長方形に近く加工した石を使用し、長い方と短い方を交互に積み重ねて行く積み方
●平部の積み方の違い
乱れ積み・・・・粗割(余り加工していない)した石をそのまま積み上げる
布積み・・・・・方形に近く加工した石を横に並べて積み上げる
熊本市Niyo-no-Ishigaki (Stone Wall of Two Styles)
This stone wall foundation uses two different construction techniques as can be seen in the way the stones are laid and by the slope of the wall.
Referred to as Niyo-no-Ishigaki (Stone Wall of Two Styles), the more gently sloping section to the right dates from the original construction while the more steeply sloping section to the left was a larger extension. Differences in the shapes of the stones and their method of laying are a valuable record of the changes in masonry techniques from the original laying of same-size stones to the laying of rectangular stones in half-shift alignment. Kumamoto City