西大手門は熊本城に3ヶ所ある本丸への大手門(正門)のうち、もっとも格式の高い門でした。
1632年(寛永9年)に加藤家に代わって肥後に入国した細川忠利は、この門の前で衣冠束帯のまま駕籠を降り、敷居を押しいただくようにして「謹んで肥後54万石を拝領仕ります」と深々と頭をたれたと伝えられています。
なお、その際に頭にかぶった冠の先が敷居の中央に当たったため、その後、登城する藩士は門の中央を通らず、端を通るようになったといわれています。
奥に見えるのは戌亥櫓です。
城内側から見るとこんな感じです。
案内板があります。
西大手櫓門(にしおおてやぐらもん)
西向きの城である熊本城は、本丸前面を防御する西出丸に、西・南・北の三つの大手門を配置し、その中でも城の玄関にあたる西大手櫓門は、最も格式の高い門とされている。
寛永九年(一六三二)加藤家に代わって肥後に入国した細川忠利(ほそかわただとし)は、この門の前で駕籠(かご)を降り、敷居を押しいただくようにして、「謹んで肥後五十四万石を拝領仕りまする」と深々と頭をたれたと伝えられている。
廃藩置県後の明治四年(一八七一)、政府軍によって他の櫓と同様に取り壊されたが、昭和五十六年(一九八一)に西南戦争百年を記念して復元された。しかし、平成十一年(一九九九)の台風によって倒壊したため、平成十五年(二〇〇三)に再度復元された。
[建物概要]
木造、二階建て、入母屋造り、本瓦葺き
桁行(けたゆき)十一間(二十三m)、梁間(はりま)四間(八m)、延床面積二四八m2、高さ十二.六mNishi-ote Turret Gate
Amongst the three great gates installed in the west, south and north of the Nishidemaru ground (western fortress) of Kumamoto Castle, Nishi-ote turret gate, located in the west, was the most prestigious front gate.