熊本城の堀は空堀ばかりですが、備前堀は熊本城で唯一の水堀です。
手前の高石垣の上に見えるのは飯田丸五階櫓、奥に見えるのは天守です。
「備前」の名前の由来は加藤家の重臣、佐々備前の屋敷が付近にあり、備前屋敷と称したところから堀もそのように呼ばれたと伝えられています。
備前堀(びぜんぼり)
本丸への南からの入口は下馬橋(げばばし)を渡って南坂(現行幸坂)を登る道であるが、その東側にあるこの水掘を備前堀と呼んでいる。
加藤家の時代に、前国主佐々成政(さっさなりまさ)の一門佐々備前(さっさびぜん)がこの近くに住み、屋敷を備前屋敷と称したところから、堀もそのように呼ばれたと伝えられている。佐々備前は加藤家侍帳で見ると千百石余で三番組の鉄砲組頭であった。
熊本城の東から南にかけては坪井川(つぼいがわ)を内堀に見立てたため、水堀はここ一ケ所だけであった。熊本市Bizen Moat
This moat was dug along the Miyukizaka sloping path in order to prevent an invasion from the south of the castle. During the reign of Kato Clan, the moat was named after the nearby house owned by Sasa Bizen, as he called the house, "Bizen Yashiki (house)."