熊本城
熊本城

[熊本県][肥後] 熊本県熊本市中央区本丸1-1


  • 平均評価:★★★★☆ 4.14(7位)
  • 見学時間:1時間58分(2位)
  • 攻城人数:3628(21位)

五階櫓跡(西竹の丸脇五階櫓)

熊本城にあった6基の五階櫓のうちのひとつがあったそうです。
そのうちのひとつがこの西竹の丸脇五階櫓(別名「独立櫓」)です。現在は「五階櫓跡」と呼ばれています。

上から撮影してみました。奥に見えるのは飯田丸五階櫓です。

現在の櫓台の石垣は孤立していますが、当時は札櫓門(ふだやぐらもん)を通じて塩櫓・飯田丸三階櫓と繋がっていたそうです。
防衛面で見ると竹之丸から飯田丸へのS字型の連続枡形虎口の中心部にあり、通路を櫓の南・西・北面に通し飯田丸三階櫓と挟撃し札櫓門で侵入を防ぐ南側の重要拠点でしたが、西南戦争後に陸軍によって破却されました。

現在、この櫓も再建計画が進んでいるようです。
ここに櫓が復元されると重厚さが増してすごくなりそうです。

五階櫓跡
 熊本城本丸南西は、もともと高い崖であったので、加藤清正はここを高石垣で築き上げた。そこで竹の丸から飯田丸への通路も、標高差が大きいため、二重に折り曲げた虎口として設計された。その二重の虎口の中央に設けられたのがこの石垣と櫓で、他の部分とつながっていないため、独立櫓とも呼ばれていた。
Site of Five-story Turret
The southwest corner of Kumamoto Castle was on a tall cliff. Kato Kiyomasa built a high stone wall and fortified the cliff. While this turret was set up as a passageway from the Takenomaru ground to the Iidamaru ground, it was not connected with other areas of the castle and thus, it is also referred to as isolated turret.
   

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図説 近世城郭の作事 櫓・城門編

三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。

まーちゃんさん)

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