熊本城の本丸御殿は加藤清正によって創建され、行政の場、生活空間として利用されていましたが1877年(明治10年)の西南戦争で焼失しました。
2003年(平成15年)の秋からはじまった復元工事によって、大広間(対面所)、数寄屋(茶室)、大台所、そして「昭君之間」が創建時の様相を取り戻しています。
延床面積 | 約2,951平方メートル |
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総事業費 | 約54億円 |
落成 | 2008年(平成20年)4月20日から一般公開中 |
入ってすぐのところで本丸御殿の復元計画について紹介されています。
大台所です。
火をおこす部屋であるため、天井は吹抜けになっています。
大広間です。
釘隠しも美しいです。
縁側は晴れた日に歩くととても気持ちがいいです。
大広間のいちばん奥は「若松之間」と呼ばれています。
そしてこれが「昭君之間(しょうくんのま)」です。
この部屋は清正が豊臣家の有事に際して秀頼を密かにかくまうためにつくられた部屋であるといわれています。
名前の由来は中国の故事に登場する王昭君の絵画(襖絵とも屏風絵ともいわれる)があることにちなんでいますが、一説によると、「しょうくん」=「しょうぐん(将軍)」の意とする説があるそうです(当時は濁点を打たないので、仮名で書けば同一になります)。
天井の装飾も見事です。
昭君之間の裏側には杉戸絵も展示されています。
杉戸絵
部屋正面に展示している杉戸絵は本丸御殿(昭君之間付近)の通路にあった杉戸絵を復元したものです。
また、部屋左側にある杉戸は、藩主御用絵師「杉谷行直(1790〜1845)が描いた杉戸絵で、実際に熊本城内のどこかの建物で使用されていたと思われます。Cedar Door Paintings
The cedar door paintings displayed in the front of the room replicate those on a door in the passage near the Chamber of Wang Zhaojun.
The cedar door at the left of the room has a paintings by SUGITANI Yukinao (1790-1845), an artist to the lord. This door must have been located in some other place within the castle.
本丸御殿周辺について書かれた案内板の内容はこちら。
往事の本丸御殿周辺
本丸御殿は慶長15(1610)年頃に加藤清正によって創建され、その後寛永10〜12(1633〜1635)年頃に細川忠利により増改築がなされたと考えられており、のちに西南戦争の際(明治10(1877)年2月19日)に起こった火災により大小天守閣とともに焼失しています。
往事は部屋数53室(畳総数1570畳)を数えたと云われています。そのうち大広間棟、大台所棟、数寄屋棟を中心に部屋数25室(畳総数580枚)の復元を行っています。
その他の復元していない藩主の居間などの部分は、遺構や石材による平面表示を行っています。Arrangement Plan of the Kumamoto Castle Ruins
The Hon-maru Goten was burned down along with the Main Castle Tower in the Seinan Civil War of 1877. Out of the 53 rooms known to have existed in the past. 25 are undergoing restoration. The remaining rooms left unrestored are instead, represented by their remains and building stones.