西出丸の南側には、加藤清正の重臣・下川又左衛門の屋敷があり、この屋敷はのちに奉行所となりました。
そのためこのあたりは奉行丸と呼ばれています。
奥に見えている2層3階の櫓は未申櫓です。
未申は南西の方角を意味しており、奉行丸の南西隅にある隅櫓なので未申櫓と名づけられました。
南側から見た未申櫓です。
未申櫓は2003年(平成15年)8月に復元されました。
建築費は約3億円で、建築面積は約119m2です。
また奉行丸には南西の未申櫓だけでなく、南東にも御客方櫓などの平櫓が3基あったそうですが、これらは復元されていません。
奉行丸は現在、イベント会場として利用されているようですね。
奉行丸(ぶぎょうまる)
この曲輪(くるわ)[城の周りに築いた堀、石垣、塀などで構成する区画]は細川氏入国(一六三二年)後、奉行所が置かれたことから奉行丸と呼ばれている。奉行所は御奉行所(おんぶぎょうしょ)、御勘定方(おんかんじょうがた)、小物成(こものなり)、御郡代(おんぐんだい)の四部門からなり、多くの藩士が公務を行っていた。
奉行丸に熊本城復元整備計画の一環として、平成十五年までに「未申櫓(ひつじさるやぐら)」「元太鼓櫓(もとたいこやぐら)」と付属の塀を復元した。また、遺構表示と木柵で表示しているのは、かつて「井樋方櫓(いびかたやぐら)」「御客方櫓(おんきゃくかたやぐら)」があった場所である。Bugyomaru (The Magistrate's Office)
This ground was named Bugyomaru, meaning the office of magistrate, when the Hosokawa Clan received the domain in 1632. Many retainers were working at this office, which consisted of four departments ― each in charge of justice, finance, taxation and other administrative affairs.