別名 飯田城、根古屋城
小机城は「永享の乱」の頃に関東管領上杉氏によって築城されたとされています。太田道灌によって攻められた記録も残っています。一度は廃城となるものの、北条氏綱の手により修復され、家臣の笠原信為が城主として配置され、小机衆が組織されました。1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の際には、無傷のまま落城し、徳川家康の関東入府にともなって二度目の廃城となりました。現在は小机城址市民の森として、本丸、二の丸跡など城の遺構が整備されています。毎年春には小机城址まつりが開催されます。
小机城を訪問した1729人の報告によれば、平均見学時間は50分、平均評価は3.26点となっています。
目次
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小机城は、鶴見川に突き出た丘陵上の要害で、室町時代までには築城されていたと考えられているそうです。
戦国時代には小田原北条氏の重要な軍事拠点となり、城が改築され、巨大な空堀や土塁、本丸、二の丸などの主要な遺構がほぼ原形のまま残されており、現在は「小机城址市民の森」として整備されています。
小机城に専用駐車場はありませんので、アットパーク小机日産スタジアム コインパーキングに駐車しました。そこから城の南東にあたる根古谷広場から攻城し、最後に西側にある出城の富士仙元を見学しました。
続日本100名城に選ばれているだけあって、豪快な堀や土塁が綺麗に残っていたのでかなり見ごたえがありました。
写真は二の丸広場を撮影したもので、4月に訪問したので、桜が綺麗に咲いていました。
(2025/05/16記入) すべての城活ノートを表示(1件)