小机城址にある縄張りについての案内板の内容を紹介します。
小机城想定図
小机城の縄張
半島形の突出た丘陵の上部を大きく平に削り、一列に三つ程度の曲輪を置き、その並んでいる曲輪の側面に腰、帯曲輪を築きます。
また、城郭全体を二重の土塁を空掘でぐるりとめぐらす縄張で後北条氏特有の築城法と言えます。
類例より後北条、後半の築城方式で、東京都、埼玉県など戦国期の丘陵城郭の多くがこの型で県下では、茅ヶ崎城も典型といえます。縄張(なわばり)と曲輪(くるわ)について
縄張とは、目的が定まった地が決定した後その広さを決定し、曲輪の配地、道のつけ方、門の開き方、水の便などを定めることであります。
この地取と縄張を総称して「城取」といい、城取は武士が行いました。
曲輪とは城を構成する区画、すなわち削平された地、それぞれ防備地帯、兵営の場、館の立地される場をいいます。