別名 初雁城
杉山城は典型的な中世山城で、地形を巧みに利用した縄張りは埼玉県でも屈指の名城と評価されています。その歴史についてはまだ明らかになっていないことが多いのですが、近年の発掘調査によれば、扇谷上杉氏と山内上杉氏による「長享の乱」(1487年〜1505年)のあと、山内上杉氏側によって築かれた城だと考えられています。その後、松山城と同時期に北条氏の属城となり、1590年(天正18年)の「小田原の役」で廃城になったと考えられます。城趾には曲輪および、それに付随する堀や土塁、虎口、土橋などが良好な状態で現存しています。
杉山城を訪問した1481人の報告によれば、平均見学時間は57分、平均評価は3.77点となっています。
目次
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260年近く泰平な世の中であった江戸時代、徳川幕府に付いて知りたくこの本を手にした。
徳川政府(徳川幕府の事)とか、禁裏(朝廷の事)とか、聞き慣れない言葉が所々に出てきて最初は違和感を感じ、アメリカの研究者が書かれたものを翻訳されたものなので仕方がないと思っていましたが、最後まで読み終えると、「そうだったのか」と目から鱗が落ちた気持ちになります。
まとめとしては、徳川政府が把握する「表」の歴史と各大名が把握している「内証」の歴史は違う事をお互いに容認することで争い事のない泰平な世が260年近く続ける事が出来たようです。しかし、諸外国の進出により、この状況を理解させられなかったことから幕府の権威が失墜し、明治維新に繋がったということですが、それに繋がる研究事例がよくまとめられていました。
以上の様に、何故江戸時代が260年近くに渡り泰平な世だったかを理解するのにベストな一冊かと思います。
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武蔵嵐山駅から攻城しました。
西口の嵐山町ステーションプラザ嵐なびでレンタサイクル(4時間500円)を借りて出発。西口から踏切を渡って住宅街を抜けると一本道なのですが、目印のウェルシア薬局が見つからず、住宅街を抜けるのに若干手間取りました。それでも約15分で杉山城に到着。
杉山城の駐車場は玉ノ岡中学校の敷地内で体育館の前と説明を受けました。自転車もそちらに駐輪します。体育館前にはトイレもあり使用可です。
まずは、大手口手前の出郭から外郭・本郭・東二の郭にかけての切岸を眺めます。自然の谷を利用し、土塁・横堀・竪堀を複雑に組み合わせて造成された切岸で、鉄壁な防御壁となっています。逆に攻め手にとっては絶望的な光景ですね。写真ではこのダイナミックさが伝わらないのが残念。
次に大手口から登城し、各郭を巡ります。各郭の入り口はすべて食い違い虎口となっており、横矢掛りの構造。ここまで徹底しているのは凄いです。
本郭から北西方面には日光男体山が、最北の搦手からは高見城跡が望めるなど眺望も良いですね。
城跡の西側には井戸が現存しており、大石で蓋をされていますが、この日も水がしみ出していました。この井戸郭の周囲には良好な状態の竪堀が5か所ほど確認できます。
入り組んだ構造の城跡ですが、それほど広くはないのでくまなく散策しても所要時間は1時間ほどでした。
杉山城は「築城の教科書」と言われるだけあって、見所豊富で魅力的な城跡でした。このような貴重な城跡が良好な状態で残っているのも奇跡のようですが、現在も行政や地元の方々によって整備保存されていることに感謝したいです。
(2025/03/15記入) すべての城活ノートを表示(1件)