杉山城址に建てられている石碑と案内板の内容を紹介します。
国指定史跡杉山城跡
平成二十年三月二十八日 指定 この城は、室町〜戦国時代の築城と推定される典型的な山城である。総面積は七・六ヘクタールにも及び、急峻(きゅうしゅん)な丘陵を巧みに利用して十余の郭(くるわ)を理想的に配している。まさに自然の要害と呼ぶにふさわしい県内でも有数の城である。現存する遺構の保存状態も非常に良く、複雑に入り組んだ土塁や堀によって構成される城構えに当時の高度な築城技術が偲ばれる。
また、城の立地についても、北方で四津山城(よつやまじょう)・高見城(たかみじょう)・越畑城(おっぱたじょう)に連絡し、南方に鎌倉街道を見下して、その遠方に小倉城(おぐらじょう)を臨むという絶好の条件を備えている。当時の社会情勢から判断して、松山城(まつやまじょう)と鉢形城(はちがたじょう)とを連絡する軍事上の重要拠点であったと考えられる。
築城年代や城主名等に不明な点も多いが、一説には、松山城主上田氏の家臣杉山(庄)主水の居城と伝えられている。
昭和六十一年三月埼玉県教育委員会
嵐山町教育委員会