雉岡城は関東管領・山内上杉氏の家臣、夏目豊後守定基の居城です。もともとは関東管領の居城として築かれましたが、手狭であったために上野平井城が上杉氏の居城となり、定基に与えられました。武蔵から上野へ至る交通の要衝であったこともあり、平井城の前衛地点として重視されましたが、北条氏邦に攻略され横地忠春が城代をつとめています。1590年(天正18年)の小田原征伐では前田利家率いる北国勢に攻められ落城しました。その後、徳川家康の関東入封後は松平清宗が1万石で配置されましたが、清宗の子・家清が「関ケ原合戦」の功績により三河吉田城へ加増移封されたため廃城となりました。現在城址は「城山公園(雉岡城跡公園)」として整備されており、土塁や水堀、空堀などの遺構が残っています。また二の丸跡は市立児玉中学校に、三の丸跡は県立児玉高校の敷地になっています。
雉岡城を訪問した155人の報告によれば、平均見学時間は34分、平均評価は3.19点となっています。
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江戸時代の大名について詳しく知りたいと思っていた時に目に止まり、読んでみることにしました。江戸時代大小併せて260~300藩有ったと言われていますが、本書では大名の格差をテーマとして石高、将軍との関係、江戸城、江戸藩邸、参勤交代の5つに分けてエピソードを交えて書かれています。石高の大小による格差をはじめとして、将軍家から嫁をもらったり、養子をもらったした大名の家格が上げられたり、その家格によって江戸城内での将軍との拝謁の仕方や服装が違ったり、江戸藩邸では門構えや屋敷の広さに差が見られたり、最後に参勤交代の道中でかち合いそうになった場合とか宿場が同じになりそうになった場合にその大名の格差が顕著に表れる事を細かいところまで知ることが出来ました。その当時の大名たちは自分の家格を十分に認識した上で行動し、少しでもその家格を上げることを日々考えていることがよく理解できる一冊でした。
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