吉田城は戦国時代初期において三河支配の重要拠点のひとつとして、松平氏と今川氏の間で争奪戦が繰り広げられた城です。江戸時代には吉田藩の政庁としての役割を果たしました。かつては酒井忠次や池田輝政が城主を務めたこともあります。また、歌川広重による浮世絵木版画『東海道五十三次』にも描かれています。現在は豊橋公園として整備されており、本丸には隅櫓(鉄櫓)が模擬再建されています。吉田城の石垣にはさまざまな大名家の家紋などが刻まれているものがあり、土佐藩の印などはっきり確認することができますが、これは天下普請で築かれた名古屋城築城の際に余った石垣を転用したことによると考えられます。また、城全体の敷地は名古屋城よりも広いです。
目次
吉田城を攻城した団員が残してくださったクチコミ(レビュー)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
項目 | データ |
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曲輪構成 | 半円郭式 |
縄張形態 | 平城 |
標高(比高) | 15 m( 15 m ) |
城郭規模 | 内郭:84 ha 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | |
天守の階数 | |
天守の種類 | 模擬天守 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 1590年(天正18年)頃に池田輝政が築いたとされる複合式望楼型3重3階の天守は、後に層塔型で再建された。その天守も1854年(安政元年)の地震で大破した。 |
築城主 | 牧野古白 |
築城開始・完了年 | 着工 1505年(永正2年) |
廃城年 | 1871年(明治4年) |
主な改修者 | 池田照政(池田輝政) |
主な城主 | 牧野氏、戸田氏、小原、酒井氏、池田氏、竹谷松平氏、深溝松平氏、沼津水野氏、山形水野氏、小笠原氏、久世氏、牧野氏、長沢、大河内松平氏、本庄松平氏、長沢、大河内松平氏 |
遺構 | 石垣、土塁、堀 |
指定文化財 | |
復元状況 | 模擬鉄櫓 |
更新日:2023/09/28 03:25:14
吉田城の見所や歴史などを紹介します。
項目 | データ |
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営業時間 |
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料金(入城料・見学料) |
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休み(休城日・休館日) |
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トイレ |
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コインロッカー | なし |
写真撮影 | |
バリアフリー |
吉田城の見所は城メモをご覧ください
さらに先の週間天気予報については気象庁のサイト 等で確認してください。
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 豊橋公園駐車場 |
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。
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