別名 末広城、扇城
長篠城は徳川氏と武田氏の国境に存在する城で、愛知県から長野県や静岡県北部へ通じる交通の要衝にあったため、しばしば合戦の舞台になり奪いあった城です。なかでも1575年(天正3年)5月の「長篠の戦い」に先立ち、激しい攻防戦が行われたことで知られています。現在は国の史跡に指定され、城跡として整備されており、本丸付近には空堀や土塁が残っています。春は桜と新緑、秋は紅葉が美しく城址を彩り、また毎年5月5日の「長篠合戦のぼりまつり」では、合戦行列や火縄銃の実演が行われます。
長篠城を訪問した2697人の報告によれば、平均見学時間は50分、平均評価は3.25点となっています。
目次
長篠城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
長篠城の見所や歴史などを紹介します。
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あり
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260年近く泰平な世の中であった江戸時代、徳川幕府に付いて知りたくこの本を手にした。
徳川政府(徳川幕府の事)とか、禁裏(朝廷の事)とか、聞き慣れない言葉が所々に出てきて最初は違和感を感じ、アメリカの研究者が書かれたものを翻訳されたものなので仕方がないと思っていましたが、最後まで読み終えると、「そうだったのか」と目から鱗が落ちた気持ちになります。
まとめとしては、徳川政府が把握する「表」の歴史と各大名が把握している「内証」の歴史は違う事をお互いに容認することで争い事のない泰平な世が260年近く続ける事が出来たようです。しかし、諸外国の進出により、この状況を理解させられなかったことから幕府の権威が失墜し、明治維新に繋がったということですが、それに繋がる研究事例がよくまとめられていました。
以上の様に、何故江戸時代が260年近くに渡り泰平な世だったかを理解するのにベストな一冊かと思います。
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