織田信長と武田勝頼が争った「長篠の戦い」といえば、信長が戦場に持ち込んだ大量の鉄砲といわゆる「三段撃ち」、また武田自慢の騎馬隊(これらについては信憑性が薄いともされているが)などばかりが有名だ。
しかし、実は両軍が激突する少し前、長篠城をめぐる前哨戦の時点でもドラマチックなエピソードがあったのである。
長篠の戦いの焦点は、三河の要所である長篠城を武田が奪うか、織田・徳川が守りきるか、という点にあった。
武田の大軍に取り囲まれた長篠城としてはなんとしても徳川家康の援軍を呼ばねばならない。
そこで、鳥居強右衛門という武士が選ばれ、家康のもとに走ることになった。
ようやくたどり着いた岡崎には、すでに信長がやってきていた。
長篠城の要所としての価値はもちろんのこと、「この機会に武田を叩き潰したい」という思いがあって、家康の援軍要請に応じて素早く出陣していたのである。
状況について報告を終えた強右衛門は、速やかに信長らと別れて長篠城へ戻った。
「援軍来る」の一報を入れれば篭城する兵たちの士気が上がるのは間違いなかったからだ。
ところが、その帰路で強右衛門は武田方に捕まってしまう。
「援軍はもう来ない、降伏しろと城内に伝えろ」
そう強要された彼は、おとなしく従う様子を見せ、城近くにまで連れて行かれた。
ところが、強右衛門が実際に叫んだ内容は武田方を大いに驚かせる。
「援軍は近くまで来ている、もう少しの辛抱だ!」――彼は敵を欺き、見事に援軍の到来を伝えるという自分の目的を果たしたのだ。
もちろん、武田方がこんな暴挙に走った彼を許すはずもない。
強右衛門は磔にされ、殺害されてしまった。
しかし、これによる士気高揚効果もあってか、長篠城は援軍到着まで守り抜かれ、設楽ヶ原での両軍の激突と織田・徳川連合軍の大勝利へとつながっていく。
強右衛門の命をかけた反抗がその大きな要因となったのである。