戦国時代、女性の存在感が消えていたわけではない。
天下一の美女と謳われたお市を始め、数多くの女性たちがキーパーソンとして登場する。
しかし、その役目の多くは誰かの母や妻としてのものだったり、あるいは人質としてのものであったりした。
主体的な活躍とは言いがたいものが多いのだ。
それでもなお、能動的に存在感を示した女性もいる。
以前紹介した甲斐姫や、今回紹介する小松姫はその代表格といっていいだろう。
小松姫は徳川四天王のひとりに数えられる猛将・本多忠勝の娘で、上野に勢力を持つ真田氏に嫁入りしている。
そのきっかけは徳川氏の真田氏が争ったことだった。
このときに徳川氏は小勢力である真田に随分手を焼かされ、結局講和で戦いが終わる、ということがあった。
その後、小松姫は家康の養女になったうえで、昌幸の長男である信之の妻になったのである。
背景には、真田氏を危険視した家康の、婚姻政策によって身内に取り込もうという思惑があったのではないかと考えられる。
当時としては珍しくない政略結婚だったが、夫婦仲は非常に仲睦まじかったようだ。
やがて豊臣秀吉が死に、天下の諸大名が家康の東軍と石田三成の西軍に別れて争うようになると、小松姫の嫁いだ真田氏は東西両軍に分裂してしまった。
信之は東軍に、昌幸と次男の信繁は西軍に、という具合である。
そんな中、信之不在の沼田城を守る小松姫のところに、昌幸たちがやってきた。
家族とはいえもはや敵、城をのっとってしまおうという思惑があったものと考えられる。
これに決然と立ち向かったのが小松姫であった。
自ら鎧を身にまとって舅や義弟の入城を防ぎ、しかしその一方で「孫の顔が見たい」という昌幸の願いには女性らしい心遣いで答え、酒や料理で歓待する。
もちろんそのときも城内に招くようなおろかなまねはせず、少し離れた寺で宴を開く気の使いようだ。
これには昌幸も感心し、「彼女がいる限り真田は安泰だろう」と言った――という。
強さと優しさを備えた、稀有な女性であったと言っていいだろう。