お城の魅力のひとつに石垣があります。
なんとなくどれも同じに見える石垣ですが、じつは石垣はいくつかの分類方法があります。
石の加工技術による分類
なかでも有名なのが石の加工程度による分類です。
ようは石をそのまま積み上げるのか、あるいは角を削ったりして加工したのかということなのですが、こうした加工技術の進化(進歩)によって、より高くて頑丈な石垣を築けるようになったんですね。
この加工程度(技術)の進化に合わせた呼び方として、古い順に「野面積み(のづらづみ)」・「打込接ぎ(うちこみはぎ)」・「切込接ぎ(きりこみはぎ)」の3つがあります。
「接ぎ(はぎ)」というのは「つなぎ合わせる」という意味だそうです。
それではじっさいの写真を使ってそれぞれの積み方を紹介しますね。
野面積み
野面積みは自然石をそのまま積み上げる手法です。そのため石の大きさや形はバラバラで、隙間や出っ張りもたくさんあります(隙間には小石を詰めて強度を高めます)。
欠点はこうした隙間や出っ張りによって、敵が簡単に登れちゃうということで、いまでいうロッククライミングのような感じになっています。一方の利点としては排水性が高いということで、大雨が振っても隙間から水が抜けるので石垣が崩れることは少ないです。
打込接ぎ
打込接ぎは石に多少の加工をしてから積み上げる手法です。表面に出る石の角や面をたたき、なるだけ平たくしてから石と石の接触部分(接合面)の隙間を減らして積み上げます。石垣を見たときに多少の凹凸はありますが、隙間はかなり少なくなっています。
関ケ原の戦い以降は、野面積みより高く、急な勾配が可能になることもあり、この打込接ぎが盛んに用いられました。
切込接ぎ
切込接ぎは徹底的に石を加工してから積み上げる手法です。四角く整形した石材を密着させるため、隙間はほぼありません。現代のブロック塀のように同サイズの石が積まれているわけではありませんが、それなりに大きさも揃えられた石がびしっと積まれています。
江戸時代初期(元和期)以降に多用されるようになったといわれており、非常に強度が強いのでもっとも高い石垣を築くことができる反面、石材同士が密着しているので排水できないため排水口が設けられています。
これは金沢城の石川門の石垣なんですけど、左右で積み方が異なるという変わったつくりになっています(左が打込接ぎで、右が切込接ぎ)。
あと、これが石垣につくられた排水口です。この石垣は打込接ぎですけどね。土佐は雨が多いので、高知城にはかなりの数の排水口が用意されているそうです。
このほか「穴太積み(あのうづみ)」という言葉もありますが、これは穴太衆という石工集団が手掛けた石垣のことを指します。穴太衆は安土城の石垣を積んだことから有名になり、のちに加藤清正によって召し抱えられて熊本城の石垣も築いています。
(ただし、安土城の石垣を穴太衆が積んだという事実はないという説もあります)
そんなわけで穴太積みというのは、穴太衆の技術の高さを誇示するために江戸後期以降用いられた呼称で、ようはブランド扱いされていたということですね。
とりあえず「野面積み」・「打込接ぎ」・「切込接ぎ」の3つはおぼえておきたいです。
積み方や外観による分類
つづいて積み方による分類を紹介します。
石垣の積み方は、大きくふたつにわかれます。
石の積み方による分類
布積み(ぬのづみ)
布積みは石と石の継ぎ目が横に一直線になるように(目地を通すように)積み上げる方法です。目地(めじ)が通っているので、ちょっと強度に問題があります。きれいなんですけどね。
布積みは「整層積み(せいそうづみ)」とも呼ばれます。
乱積み(らんづみ)
乱積みは目地にこだわらず不規則に積み上げる方法です。安土桃山時代以降に用いられた積み方です。いろんな形の石を崩れないように積み上げるため、乱積みのほうがむずかしいといわれます。いわゆる職人芸ですね。 乱積みは「乱層積み(らんそうづみ)」とも呼ばれます。
また派生系としては、布積みの発展型とされる「整層乱積み(せいそうらんづみ)」という積み方もあります。
基本的には布積みの手法を踏襲しているのですが、石を水平にしたり垂直に立てて使ったり、あるいは一方の隅を打ち欠いたりして横目地を通さない積み方で、横目を通さないため布積より崩れにくいとされています。
ただ、基本的には「布積み」と「乱積み」のふたつだと思っていればいいです。
そして、昨日紹介した石の加工具合での分類である「野面積み」・「打込接ぎ」・「切込接ぎ」の3つとの組み合わせで、合計6通りの石垣があるということですね。
石垣を見たら、この6つのうちのどれかをチェックしてみてください。
布積み | 乱積み | |
---|---|---|
野面積み | ||
打込接ぎ | ||
切込接ぎ |
石垣の外観による分類
ほかにも石垣の外観によっていくつかの呼び方があります。
算木積み(さんぎづみ)
算木積みというのは、石垣の角っこの強度を高めるための積み方です。石垣の角の部分を「隅石(すみいし)」と呼びます。
だいたい1605年(慶長10年)前後に用いられているとされるので、江戸時代に築かれた石垣に見られます。見つけるのは簡単で、こんなふうに長方体の石が交互に重ね合わさっています。
くしくも熊本地震で石垣が崩落した飯田丸五階櫓や戌亥櫓の石垣で「奇跡の一本石垣」と呼ばれた部分がまさに算木積みでした。
算木積みは天正年間(1573~1592年)にはすでに見られますが、石垣の下端から上端まで長辺が短辺の倍以上となる隅石を用いて、乱れることなく整然と長短交互に積み上げられてる場合は、慶長10年以降と推定できます。
ちなみに慶長10年以降になぜ石垣の技術が急速に発展したかというと、「関ヶ原の戦い」の結果、各地に大大名が誕生して築城ラッシュがはじまったからです。さらに「天下普請」によって築城技術が広く普及したため、全国的に高度な石垣の城が築かれるようになりました。
谷積み(たにづみ)
谷積みは別名、落積み(おとしづみ)ともいいます。
「平石(ひらいし)」の隅を立てて積む積み方で、石を斜めに落とし込んで積む方法です。ちなみに隅以外の普通のところに使う石は平石と呼ばれます。
谷積みは切込み接が普及したあとの手法で江戸時代の後期、つまり1800年代中期以降に見られます。たとえば彦根城の天秤櫓の土台の幕末に修理した部分は谷積みになっています。
またこの積み方は比較的最近でも道路工事で使われているので、現在でも多く見ることができるます。
亀甲積み(きっこうづみ)
亀甲積みは石材を六角形に加工して積み上げる切込み接ぎの石垣の一種です。見た目が亀の甲羅のように見えるため、こう呼ばれています。
それまでの積み方と比べて、亀甲積みは力が均等に分散するため崩れにくいが、石を積むのに技術を要すること、またあまり高い石垣を築けないため、江戸後期に低い石垣に用いられた例しかありません。
なお沖縄のグスクでは、相方積み(あいかたづみ)とも呼ばれます。
玉石積み(たまいしづみ)
玉石積みはその名のとおり玉石を用いた積み方です。亀甲積み同様、見た目ですぐにわかります。
頑丈でないため石垣を高くすることはできないので、あまり使われた事例はないのですが、横須賀城など近くで花崗岩を入手できずに、川石を使うしかなかった城で使用されています。
(川石は水の流で河口に近づくほど丸まっていますからね)
石垣の見た目による分類はわかりやすいですし、技術や流行の推移も実感できるので、お城を攻めた際にはぜひチェックしてくださいね。
とりあえず写真に撮っておくと、あとからいろいろ見返せるのでいいですよ。
石垣については「刻印探し」などの楽しみ方もあるのですが、それはまた別の機会に。