小牧山城は織田信長によって、美濃攻略の本拠地として築かれた城です。信長がはじめて築いた城でもあります。その後、信長は稲葉山城を陥落し、岐阜城と改めて移住したため、小牧山城は約4年間で廃城となりましたが、のちに豊臣秀吉と徳川家康が戦った「小牧・長久手の戦い」では、家康がこの地に本陣を置いたとされます。江戸時代には家康ゆかりの地として尾張徳川家が保護し、入山が禁止されたこともあり、山中の堀や土塁などがきれいな状態で残っており、日本の城郭史上、貴重な資料となっています。また近年の発掘調査によれば、石垣を用いた本格的な城であった可能性が指摘されています。現在は山頂に天守を模した小牧山歴史館(以前の名称は「小牧市歴史館」)がありますが、これは名古屋市在住の実業家が寄贈したもので、内部は資料館になっています。
目次
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小牧山城に関するデータ 情報の追加や修正
85.9 m
内郭:-- 外郭:21 ha
3重4階
19.3 m
織田信長が天守を築いたかどうかは不明。現在ある模擬天守は1967年(昭和42年)に名古屋市在住の実業家、平松茂(故人)が私財を投じて建設し、小牧市に寄贈したものである。聚楽第の遺構と伝わる西本願寺の「飛雲閣」をモデルとしている。
織田信長
着工 1563年(永禄6年)
1567年(永禄10年)
徳川家康
織田氏、徳川氏
曲輪、井戸、土塁
国史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 85.9 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:21 ha |
天守縄張、天守形式 | |
天守の階数 | 3重4階 |
天守の種類 | 模擬天守 天守の分類 |
天守の高さ | 19.3 m |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 織田信長が天守を築いたかどうかは不明。現在ある模擬天守は1967年(昭和42年)に名古屋市在住の実業家、平松茂(故人)が私財を投じて建設し、小牧市に寄贈したものである。聚楽第の遺構と伝わる西本願寺の「飛雲閣」をモデルとしている。 |
築城主 | 織田信長 |
築城開始・完了年 | 着工 1563年(永禄6年) |
廃城年 | 1567年(永禄10年) |
主な改修者 | 徳川家康 |
主な城主 | 織田氏、徳川氏 |
遺構 | 曲輪、井戸、土塁 |
指定文化財 | 国史跡 |
復元状況 |
更新日:2023/12/10 03:24:55
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小牧山城の見所や歴史などを紹介します。
小牧山城の見学情報・施設案内 情報の追加や修正
項目 | データ |
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営業時間 |
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料金(入城料・見学料) |
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休み(休城日・休館日) |
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トイレ | |
コインロッカー | |
写真撮影 | |
バリアフリー |
小牧山城の見所は城メモをご覧ください
さらに先の週間天気予報については気象庁のサイト 等で確認してください。
小牧山城へのアクセス情報 情報の追加や修正
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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