小牧山山頂の周囲には石垣の一部だった巨石が露出しています。
この周辺を発掘調査した結果、山頂にあった曲輪の周辺を石垣が囲っていたことがわかりました。
これは織田信長による築城時にすでに石垣が築かれていた可能性を示しており、これまで安土城が「最初に石垣を用いた城」というのが定説でしたが、現在は小牧山城が起源ではないかと考えられるようになっています。
史跡小牧山主郭地区~織田信長が築いた小牧山城~巨石石垣の露頭
大手道から頂上の主郭(曲輪001)に到る主郭地区の史跡整備に向けて、遺構の遺存状況を確認するため、平成16~21年度にわたり試掘調査及び発掘調査を実施しました。 以前から、曲輪001の北西法面の一部に石垣の巨石群が露頭していることは知られていましたが、この露頭する石垣の両側で実施した法面の調査により、曲輪001の西法面から北西法面、さらに北東法面の一部にかけて、石垣が連続して残ることがわかりました。これまでに確認した曲輪001法面に残る石垣のうちでは、ここの西法面で使われた石が最も大きく、縦約1.3m、横約1.9mの石が3つ続けて並べられています。大きな石が使われているためか、西法面から北西法面の露頭石垣までは、他に比べて石垣はよく残っています。露頭石垣から北側では、所々で積み石が抜け落ちている状況が見られました。曲輪001の法面の石垣は、その屈折具合や築かれた面の傾斜具合から、山の地形に合わせて築かれた塁線である印象を与えています。小牧市教育委員会