小牧山の中腹に、堀と土塁で堅固に防御された虎口の遺構があります。
史跡小牧山主郭地区〜織田信長が築いた小牧山城〜守りの要衝 虎口a
大手道から頂上の主郭(曲輪001)に到る主郭地区の史跡整備に向けて、遺構の遺存状況を確認するため、平成16~19年度にわたり4次の試掘調査を実施しました。
平成18年度の第3次試掘調査では、主郭地区と西側曲輪地区を隔てる堀Ⅰ(説明板の南側の堀)、その東側に位置する土塁A、西側の土塁E及び北側の土橋(この付近)の状況を把握すべく、ここ虎口aの調査を実施しました。堀Ⅰは、土橋によりここが北端部となっており、幅は約6.5mを測ります。堀底は平坦で、堀底からの高さは、土橋までは2.5m~3m、土塁Aまでは約6.5m、土塁Eまでは約2.3mあり、堀の法面は40~50度に作られ、ここが土塁と堀で堅固に防御された守りの要衝であることがわかりました。この虎口は、織田信長築城時(永禄期)に築かれましたが、小牧・長久手の合戦(天正期)には、土橋が封鎖されました。江戸時代に作られた小牧山模型を見ると、高い土塁が曲輪の北側まで続くように表現されています。現在、曲輪003(土橋を上がった所の平坦地)の縁にある土塁Aは、わずかな高まりを残す程度ですが、これは、明治時代に小牧山が一時期県立公園となり、曲輪003に「創垂館」を建設するために土塁Aを削平し、現在の園路も通されたと考えられます。削平された土が曲輪内に敷均され、土橋、堀Ⅰ、土塁Eにも押し出されたようで堀Ⅰでは2.6mの厚さで土砂の堆積がみられたどころがありました。小牧市教育委員会