大垣城は「関ケ原の戦い」の際に石田三成らが入城して西軍の根拠地となった城です。その天守は戦前に国宝(旧国宝)に指定されていましたが、1945年(昭和20年)の大垣空襲により焼失しました。現在ある天守は1959年(昭和34年)に外観復元されたもので、中は「関ケ原の戦い」についての資料館になっています。
目次
大垣城を攻城した団員が残してくださったクチコミ(レビュー)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 輪郭連郭複合式 |
縄張形態 | 平城 |
標高(比高) | 10.4 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | 複合式層塔型 |
天守の階数 | 4重4階 |
天守の種類 | 復元(外観復元)天守 |
天守の高さ | 18 m |
天守台石垣の高さ | 6 m |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 1588年(天正16年)に一柳直末によって築かれた望楼型天守は、1596年(慶長元年)頃に伊藤祐盛により改築された。このときの天守が『関ヶ原合戦屏風』に描かれた3重天守と思われる。関ケ原の戦い後の1620年(元和6年)に松平忠吉によって複合式層塔型3重4階(4重4階の説もあり)に改修された。この天守は1936年(昭和11年)に国宝として指定されていたが、1945年(昭和20年)の空襲により焼失した。現在の復元天守は1959年(昭和34年)に鉄筋コンクリートで再築されたもの。この時点では窓や破風などの外観が焼失前と異なっていたが、2011年(平成23年)に往時にあわせて外観が改修された。 |
築城主 | 竹腰尚綱 |
築城開始・完了年 | 着工 1500年(明応9年) |
廃城年 | 1873年(明治6年) |
主な改修者 | 氏家直元、伊藤祐盛 |
主な城主 | 竹腰氏、氏家氏、伊藤氏、岡部氏、松平氏、戸田氏(10万石) |
遺構 | 石垣、曲輪 |
指定文化財 | 市史跡 |
復元状況 | 天守、乾櫓、艮櫓(外観復元)、門 |
更新日:2023/09/26 03:23:09
大垣城には「攻城団コラボチラシ」があります。入手場所など詳しくは城メモをご覧ください。
大垣城の見所や歴史などを紹介します。
項目 | データ |
---|---|
営業時間 |
|
料金(入城料・見学料) |
|
休み(休城日・休館日) |
|
トイレ | |
コインロッカー | |
写真撮影 | 可 |
バリアフリー |
大垣城の見所は城メモをご覧ください
さらに先の週間天気予報については気象庁のサイト 等で確認してください。
項目 | データ |
---|---|
アクセス(電車) |
|
アクセス(クルマ) |
|
駐車場 |
|
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。
城メモと重複するスポットは表示していません。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
大垣城について参考になると思われるインターネット上の情報へのリンクです。すべて別ウィンドウが開いて表示されます。
訪問レポートなど、これまで攻城団に公開された関連記事の一覧です。
まだトピックがありません(情報募集中)
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
現代風景の中の姫路城写真も掲載されていて、それが歴史の奥深さと融合しています。
一辺19センチの正方形一冊に姫路城への愛がぎっしりと詰まっているように思えます。もっと大きな判型で拝見したいところですが、身近にいつでもページを開くことができるというのも大切なポイントでしょうね。
デジタル写真にレタッチを施せる昨今にあって、このような調和のとれた発色・陰影表現を見習いたいものです。
大西義和さんとは2018年の秋に偶然に知り合いまして、こちらの89ページの「秋色 シロトピア記念公園」はおそらくその時に撮影された写真と思われます。それから一年に一度は撮影スポットでお目にかかることがあります。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する