大垣城は織田氏と斎藤氏によって支配権が争われましたが、天守が築かれたのは1594年(文禄3年)頃、一柳直末か伊藤祐盛が城主のときだといわれています。
1600年(慶長5年)の関ケ原の戦いの際には、当時城主であった伊藤盛宗が西軍に属したため、石田三成らが入城して西軍の根拠地となりました。
そのため、現在の天守内部では関ケ原の戦いをテーマにした展示が行われています。
江戸時代には松平忠良が天守を改修した記録が残っています。
また、1635年(寛永12年)に大垣城主となった戸田氏鉄が、1649年(慶安2年)に城を大きく改修しました。
明治を迎え、大垣城は1873年(明治6年)に発布された廃城令により廃城となりましたが、天守など一部の建物は破却を免れ、1936年(昭和11年)に国宝(旧国宝)に指定されました。
しかし1945年(昭和20年)7月29日の大垣空襲により天守や艮櫓などが焼失しました。
その後、1959(昭和34年)4月に4層4階の天守が、1967年(昭和42年)に乾櫓が、鉄筋コンクリート構造で外観復元されましたが、観光用に窓を大きくするなどの改変がなされたため、正確には外観復元天守ではありませんでした。
そのため2010年(平成22年)2月から2011年(平成23年)3月にかけて、焼失前の外観に近くなるように改修工事が行われました。
同時に屋根瓦の葺き替えと外壁改修工事が行われたため、とても美しい外観となっていますね。
最上階からは伊吹山のほか、関ケ原の戦いで西軍の毛利秀元が陣を構えた南宮山も見えます。
また、反対側からは岐阜城も見ることができます。
ビデオコーナーもあるので、時間がある場合は鑑賞していくといいと思います。