大垣城に設置されている案内板の内容を紹介します。
大垣城は天文四年(一五三五)、宮川安定(みやがわやすさだ)が築城した(明応九年竹腰尚綱(たけこしひさつな)の創建とも伝えられる)といわれ、大垣市内を流れる水門川の流れを外堀に利用して築城されました。天守は四層四階建て総塗りごめ様式で、大変優美な城です。
慶長五年(一六〇〇)、関ヶ原の戦いでは、西軍を率いた石田三成の本拠地となり、その後、寛永十二年(一六三五)、摂津(兵庫県)尼ヶ崎より戸田氏鉄(とだうじかね)公が入城し、戸田十万石の居城となり、以後明治維新まで続きました。
昭和十一年には国宝に指定されましたが、昭和二十年の戦火で惜しくも焼失してしまいました。その後、昭和三十四年に、外観を昔そのままの容姿で再建され、城下町大垣のシンボルとなっています。