現在の大垣城の正門として使われている東門です。
かつての柳口門を移築したもので、本来はここに門はありませんでした。
大垣城には全部で7つの門(大手門、南口門、柳口門、竹橋口門、清水口門、辰之口門、小橋口門)があり、七口之門(ななくちのもん)と呼ばれていました。
現在はいずれの門も当時の場所にはありませんが、市内長松町の天理教本眞愛分教会に清水口門(清水御門)が残っています。明治維新のときに移築したそうです。
入ったところに市指定史跡の案内板があります。
大垣市指定史跡大垣城跡
大垣城は、牛屋川を天然の外濠にとりいれた要害堅固な平城で、天文4年(1535)宮川安定(みやがわやすさだ)によって創建されたと伝えられている。
慶長5年(1600)関ヶ原合戦では、西軍の本拠となり壮絶な攻防戦が繰り広げられたが、戸田家が入城してからは、歴代藩主と共に天下泰平の世を謳歌した。
先の戦災で惜しくも天守閣を焼失したが、現在城跡一帯は市民の憩いの場として親しまれている。大垣市教育委員会Historic Site Designated by Ogaki CityRuins of Ogaki Castle
It is said that Ogaki Castle was built by Yasusada Miyagawa in 1535.
In 1600, during the Battle of Sekigahara the castle was used as the general headquaters for Western Japan troops. After the Toda Family entered Ogaki Castle, everyone lived in peace. All over the Ruins of Ogaki Castle is used as a place of rest now.Ogaki Board of Education