掛川城は山内一豊の居城として知られています。「関ケ原の戦い」の際に一豊が徳川家康に掛川城の提供を申し出た逸話は司馬遼太郎の『功名が辻』にも登場します。明治以降は、廃城令によってほとんどの建物が撤去されましたが、1994年(平成6年)に天守が再建されました。この天守は日本初の木造復元天守です。重要文化財にも指定されている二の丸御殿は二条城などと並んで全国でも数少ない完存御殿建築遺構です。
目次
掛川城を攻城した団員が残してくださったクチコミ(レビュー)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 56 m( 30 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | 複合式望楼型 |
天守の階数 | 3重4階 |
天守の種類 | 復元(木造復元)天守 |
天守の高さ | 16.18 m |
天守台石垣の高さ | 3.6 m |
天守の広さ(延床面積) | 304.96 m2 |
天守メモ | 1590年(天正18年)に入城した山内一豊によって近世城郭に改められた。このときに3重4階の層塔型天守も築かれたが、1604年(慶長9年)の地震で大破した。その後、1619年(元和5年)に城主となった松平定綱によって1621年(元和7年)に天守は再建されたが、1854年(嘉永7年)に起きたいわゆる安政の大地震により大破し、破却された。現在の復元天守は1994年(平成6年)に再建されたもので、日本初の木造復元天守である。 |
築城主 | 朝比奈泰能 |
築城開始・完了年 | 着工 1512年(永正9年) |
廃城年 | 1871年(明治4年) |
主な改修者 | 山内一豊 |
主な城主 | 朝比奈氏、石川氏、山内氏(5万石)、松平氏(3万石)、北条氏(3万石)、井伊氏(3万5千石)、小笠原氏(6万石)、太田氏(5万石) |
遺構 | 二の丸御殿、太鼓櫓、石垣、土塁、堀(いずれも一部) |
指定文化財 | 国の重要文化財(二の丸御殿)、県史跡 |
復元状況 | 天守、門 |
更新日:2023/09/26 03:23:10
掛川城には「攻城団コラボチラシ」があります。入手場所など詳しくは城メモをご覧ください。
掛川城の見所や歴史などを紹介します。
項目 | データ |
---|---|
営業時間 |
|
料金(入城料・見学料) |
|
休み(休城日・休館日) |
|
トイレ | |
コインロッカー | |
写真撮影 | |
バリアフリー | 身体障害者手帳・療育手帳・精神障害者福祉手帳を所持する方とその介護者(1人分)が入館する場合は無料 |
掛川城の見所は城メモをご覧ください
さらに先の週間天気予報については気象庁のサイト 等で確認してください。
項目 | データ |
---|---|
アクセス(電車) |
|
アクセス(クルマ) |
|
駐車場 | 掛川大手門駐車場(有料) |
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。
城メモと重複するスポットは表示していません。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
掛川城について参考になると思われるインターネット上の情報へのリンクです。すべて別ウィンドウが開いて表示されます。
訪問レポートなど、これまで攻城団に公開された関連記事の一覧です。
掛川城では過去に以下のようなイベントが開催されたり、ニュースが紹介されました(1年以内の情報だけ表示しています)。
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
現代風景の中の姫路城写真も掲載されていて、それが歴史の奥深さと融合しています。
一辺19センチの正方形一冊に姫路城への愛がぎっしりと詰まっているように思えます。もっと大きな判型で拝見したいところですが、身近にいつでもページを開くことができるというのも大切なポイントでしょうね。
デジタル写真にレタッチを施せる昨今にあって、このような調和のとれた発色・陰影表現を見習いたいものです。
大西義和さんとは2018年の秋に偶然に知り合いまして、こちらの89ページの「秋色 シロトピア記念公園」はおそらくその時に撮影された写真と思われます。それから一年に一度は撮影スポットでお目にかかることがあります。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する