「正保城絵図」に描かれていた四足門は現在の掛川城公園のメインの入口となっていますが、現地調査ではここに門の跡は見つけられなかったそうです。
奥に見えるのは太鼓櫓
門の手前に案内板があります。
四足門(よつあしもん)
調査では、門の跡は見つかりませんでしたが、正保城絵図(しょうほしろえず)を元に復元されました。門の内側には、入城者(にゅうじょうしゃ)を調べる番所(ばんしょ)がありました。本丸に通じる重要な門でした。YOTSUASHIMON
門をくぐると掛川城の模型があります。
掛川城主要部模型
この模型は、正保元年(1644)幕府が諸大名に命じて提出させた城絵図と発掘調査結果を基本資料として、150分の1の縮尺で製作されました。塩櫓(しおやぐら)・銭櫓(ぜにやぐら)のあった腰曲輪(こしぐるわ)や、内堀の松尾池(まつおいけ)・乾堀(いぬいぼり)は、削り取られたり、埋め立てられたりして現在目にすることはできませんが、模型ではこれらの曲輪や堀を含めた正保年間(1644〜1647)頃の最盛期の掛川城の主要部が示されています。模型の素材は、風雨、日光などの屋外での自然条件下でも耐久性が高い有田製磁器が用いられています。