諏訪原城は武田勝頼が徳川領であった遠江侵略の拠点として築城した城です。城内に諏訪大明神を祀ったことからこの名がついたとされます。武田氏と徳川氏の間で激しい攻防が繰り広げられましたが、1575年(天正3年)には落城して、徳川氏の城となりました。徳川氏時代には「牧野城」と呼ばれましたが、武田氏が滅亡すると存在意義が薄れ、廃城となります。現在は建築物は残っていないものの、甲州流築城術の特徴である丸馬出や三日月堀が残っており、枡形虎口などの遺構も残ります。戦国時代の武田氏・徳川氏の築城様式を知る上でも貴重な城址で、国の史跡に指定されています。また付近には家康が諏訪原城を攻略するために築いた付城である火剣山砦跡もあります。
目次
諏訪原城を攻城した団員が残してくださったクチコミ(レビュー)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
諏訪原城に関するデータ 情報の追加や修正
218 m( 148 m)
内郭:-- 外郭:--
馬場信春か
着工 1573年(天正元年)
1592年(天正18年)
松平家忠
今福顕倍、今川氏真、松平家忠
土塁、曲輪、堀、馬出、井戸など
国史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 218 m( 148 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 馬場信春か |
築城開始・完了年 | 着工 1573年(天正元年) |
廃城年 | 1592年(天正18年) |
主な改修者 | 松平家忠 |
主な城主 | 今福顕倍、今川氏真、松平家忠 |
遺構 | 土塁、曲輪、堀、馬出、井戸など |
指定文化財 | 国史跡 |
復元状況 |
更新日:2023/11/29 03:27:17
今回は島田市博物館の岩﨑学芸員に今年で築城450年を迎える諏訪原城について教わります。武田勝頼と徳川家康によって争奪された歴史を知ると、現地を訪問したくなりますね。
諏訪原城には「攻城団コラボチラシ」があります。入手場所など詳しくは城メモをご覧ください。
諏訪原城の見学情報・施設案内 情報の追加や修正
あり
可
項目 | データ |
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営業時間 |
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料金(入城料・見学料) |
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休み(休城日・休館日) |
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トイレ | あり |
コインロッカー | |
写真撮影 | 可 |
バリアフリー |
諏訪原城の見所は城メモをご覧ください
さらに先の週間天気予報については気象庁のサイト 等で確認してください。
諏訪原城へのアクセス情報 情報の追加や修正
見学者用駐車場あり
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 見学者用駐車場あり |
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。
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