此隅山城は山名時義が出石神社の北にある標高140mの此隅山に築いた城です。「応仁の乱」の際には此隅山城に山名の各領国から計2万6000騎の軍勢が集まり、山名持豊(宗全)はこの城から京都へ出陣しています。1569年(永禄12年)、山名祐豊のときに羽柴秀吉に攻められ落城し、祐豊はより高所にある有子山城に居城を移して廃城となりました。現在は有子山城とともに「山名氏城跡」として国の史跡に指定されています。
此隅山城を訪問した101人の報告によれば、平均見学時間は1時間8分、平均評価は2.89点となっています。
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江戸時代の大名について詳しく知りたいと思っていた時に目に止まり、読んでみることにしました。江戸時代大小併せて260~300藩有ったと言われていますが、本書では大名の格差をテーマとして石高、将軍との関係、江戸城、江戸藩邸、参勤交代の5つに分けてエピソードを交えて書かれています。石高の大小による格差をはじめとして、将軍家から嫁をもらったり、養子をもらったした大名の家格が上げられたり、その家格によって江戸城内での将軍との拝謁の仕方や服装が違ったり、江戸藩邸では門構えや屋敷の広さに差が見られたり、最後に参勤交代の道中でかち合いそうになった場合とか宿場が同じになりそうになった場合にその大名の格差が顕著に表れる事を細かいところまで知ることが出来ました。その当時の大名たちは自分の家格を十分に認識した上で行動し、少しでもその家格を上げることを日々考えていることがよく理解できる一冊でした。
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