八木城は山名四天王と呼ばれた有力国人・八木氏の居城として知られています。1577年(天正5年)の羽柴秀長におる第一次但馬攻めで、城主の八木豊信は降伏しました。そして1585年(天正13年)には三木合戦で亡くなった別所長治の叔父にあたる別所重宗が羽柴秀吉から任命されて、八木城の城主をつとめます。石垣はこの時代に築かれたようです。しかし重宗の跡を継いだ別所吉治が「関ケ原の戦い」で西軍に属したため、改易となり城も廃城となっています。なお、八木城から200mほど尾根を奥に登ったところに土塁造りの八木古城があり、八木氏の時代には詰城として機能していましたが、別所氏時代には但馬の状況が安定したため廃城となっています。道の駅「ようか但馬蔵」の観光案内所で八木城のパンフレットがもらえます。
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303 m( 230 m)
内郭:-- 外郭:--
本丸に天守台、櫓台跡あり。
八木氏
着工 鎌倉時代初期か
1600年(慶長5年)
別所重棟
八木氏、別所重棟(1万2000石)
石垣、曲郭、土塁、堀切
国史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 303 m( 230 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守メモ | 本丸に天守台、櫓台跡あり。 |
築城主 | 八木氏 |
築城開始・完了年 | 着工 鎌倉時代初期か |
廃城年 | 1600年(慶長5年) |
主な改修者 | 別所重棟 |
主な城主 | 八木氏、別所重棟(1万2000石) |
遺構 | 石垣、曲郭、土塁、堀切 |
指定文化財 | 国史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/03/19 03:28:35
八木城へのアクセス情報 情報の追加や修正
項目 | データ |
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この本は日経新聞の土曜朝刊別刷に掲載中の「何でもランキング(1〜10位)」の旅に関する記事をまとめたもの(2019年8月発行)。《第1部、絶景を見に行く》のコーナーには「闇夜に浮かぶ城、冬こそ必見」、《第2部、そぞろ歩きを楽しむ》には「1日で散策満喫、ほどよいサイズの城下町」のページがあってそれぞれ10の城と城下町が紹介されています。松本城と弘前城は両方にランクイン、また「〜城下町」の方にはこうの団長のコメントや「調査の方法」のところには「お城ファンサイト「攻城団」などの推薦や…」というちょっと嬉しい表記も。
たまには攻城しないお出かけ先を探してみようと久しぶりに書棚から出したのですが、やっぱり「城、城下町」のページを真っ先にチェックしました。さて、同行者の満足ポイント(街歩きと地元の食やお酒)があって、ほどよく攻城できる次の行き先はどこになるかな。
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