八木古城は平安時代末の1063年(康平6年)頃に閉伊四郎頼国がこの地を与えられ築城したと伝わっていますが定かではありません。のちに石垣造りの八木城(八木石城)ができたため、八木土城とも呼ばれます。山名四天王のひとり、八木豊信が城主の時代には「食い違い虎口」を築くなどの改修を受けて、八木城の詰城として機能していましたが、1585年(天正13年)に三木合戦で亡くなった別所長治の叔父にあたる別所重宗が羽柴秀吉の命を受けて、八木城に入ると廃城になりました。鎌倉時代からの城として重要な遺構が残っていることから、1997年(平成9年)3月6日に国の史跡に指定されました。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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