別名 八木土城、土城

八木古城は平安時代末の1063年(康平6年)頃に閉伊四郎頼国がこの地を与えられ築城したと伝わっていますが定かではありません。のちに石垣造りの八木城(八木石城)ができたため、八木土城とも呼ばれます。山名四天王のひとり、八木豊信が城主の時代には「食い違い虎口」を築くなどの改修を受けて、八木城の詰城として機能していましたが、1585年(天正13年)に三木合戦で亡くなった別所長治の叔父にあたる別所重宗が羽柴秀吉の命を受けて、八木城に入ると廃城になりました。鎌倉時代からの城として重要な遺構が残っていることから、1997年(平成9年)3月6日に国の史跡に指定されました。
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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