但馬国の守護大名である山名持豊(宗全)が此隅山城の出城として築いた木崎城(城崎城)がその前身であったと考えられています。1580年(天正8年)、織田信長の命を受けた羽柴秀吉による第二次但馬征伐で但馬国の山名氏が一旦滅ぶと、秀吉配下の宮部継潤の支配となり、城崎は豊岡と改められました。この際に城の改築だけでなく城下町も整備されました。江戸時代には豊岡藩として杉原氏が城主をつとめていましたが、無子改易となったことにともない廃城となりました。その後、京極氏が入封し、再度豊岡藩が置かれますが、城主大名の格式ではなく、山城の維持費もかかるため、山麓に陣屋(豊岡陣屋)が建築され、藩政は陣屋にて行われました。現在、豊岡城跡一帯は神武山公園として整備されており、本丸・曲輪跡が確認できます。
豊岡城に関するデータ 情報の追加や修正
48 m( 40 m)
内郭:-- 外郭:--
天守台があった。
山名持豊
1653年(承応2年)
垣屋氏(山名氏)、宮部継潤、木下重堅、尾藤知定、明石則実、福原道高、杉原長房、杉原重長、杉原重玄
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 階郭式 |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 48 m( 40 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守メモ | 天守台があった。 |
築城主 | 山名持豊 |
築城開始・完了年 | |
廃城年 | 1653年(承応2年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 垣屋氏(山名氏)、宮部継潤、木下重堅、尾藤知定、明石則実、福原道高、杉原長房、杉原重長、杉原重玄 |
遺構 | |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/03/29 03:29:23
項目 | データ |
---|---|
アクセス(電車) |
|
アクセス(クルマ) | |
駐車場 | 市立図書館に駐車場あり |
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
豊岡城について参考になると思われるインターネット上の情報へのリンクです。すべて別ウィンドウが開いて表示されます。
まだトピックがありません(情報募集中)
まだ本城登録している団員がいません
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する