洲本城は三好氏の重臣・安宅治興によって築かれた城で、羽柴秀吉による淡路討伐の後、仙石秀久に与えられました。その後、脇坂安治が城主のときに天守が築かれましたが、移封先の大洲城へ移築したという説があります。また安治は石垣を改修して「登り石垣」を築きましたが、これは全国的にも珍しいものです。遺構としてはとりわけ石垣の保存状態がよく、城址のあちこちで見ることができます。現在は本丸跡に模擬天守が建てられており、これは江戸時代の天守を復元したものではありませんが、日本最古の鉄筋コンクリート製模擬天守として知られています。山麓には「大坂夏の陣」の後、徳島藩主・蜂須賀氏の筆頭家老である稲田氏によって築かれた平城があり、その跡地には洲本城に関する資料を展示する洲本市立淡路文化史料館が建てられています。
目次
洲本城を攻城した団員が残してくださったクチコミ(レビュー)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 133 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | 連結式層塔型 |
天守の階数 | 4重4階 |
天守の種類 | 模擬天守 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 脇坂安治によって築かれた連結式望楼型天守(独立式の説もあり)は、自身の転封にあわせて移封先の大洲城へ移築されたという説があるが、真偽は定かではない。江戸初期の一国一城令で天守をはじめとする建物がすべて取り壊された。現在の復興天守は、1928年(昭和3年)に昭和天皇御大典記念として、総工費1万円をかけて鉄筋コンクリート製で建てられたもの。ちなみに、この模擬天守は江戸時代の天守を復元したものではないが、模擬天守としては日本最古のものである。 |
築城主 | 安宅治興 |
築城開始・完了年 | 着工 室町時代後期 |
廃城年 | 1871年(明治4年) |
主な改修者 | 脇坂氏(山城)、蜂須賀氏(平城) |
主な城主 | 安宅氏、仙石氏、脇坂氏、藤堂氏、池田氏、蜂須賀氏 |
遺構 | 石垣、天守台、堀 |
指定文化財 | 国史跡 |
復元状況 | 模擬天守 |
更新日:2023/03/31 03:23:56
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) | |
駐車場 |
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