別名 感応堂城

叶堂城は石川紀伊守光之によって築かれた城です。志知城主・加藤嘉明が伊予正木城へ移封になり、豊臣家の直轄領になった際に代官として派遣された石川氏が志知城に代わる水軍基地として築かれました。しかし間もなく光之は「関ケ原の戦い」で西軍に与して敗れたため廃城となっています。江戸時代には築城時に北の松原に移されていた感応寺が再建され、徳島藩主・蜂須賀氏の庇護を受けて、石垣などが改修されました。現在城址は1984年(昭和59年)におこなわれた三原川の治水工事により感応寺は再移転となり、地形も大きく変わってしまっていますが、感応寺の西側に当時の石垣が一部残っています。また御原橋近くの川沿いに城址碑と案内板が建てられています。
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感応寺駐車場
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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