大和郡山城は筒井順慶によって築かれた城です。その後は秀吉の実弟である羽柴秀長の居城となりました。江戸時代には譜代大名が歴代城主を務め、柳沢吉里が入封後は柳沢氏が明治維新まで居城としました。大和は石材に乏しい国であったため、天守台の石垣には墓石や地蔵までもが用いられています(これを「転用石」と呼びます)。なかには「逆さ地蔵」と呼ばれる、逆さになった状態で石の間に埋もれている地蔵があります。現在は本丸の石垣や堀が残っており、また大手門、大手東隅櫓、大手向櫓が復元されています。大和郡山城は桜の名所として、日本さくら名所100選にも選定されており、毎年4月1日から行われる「お城まつり」には多くの花見客でにぎわいます。
目次
郡山城を攻城した団員が残してくださったクチコミ(レビュー)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
郡山城に関するデータ 情報の追加や修正
72.6 m
内郭:-- 外郭:--
5重6階または5重5階
1580年(天正8年)頃の筒井順慶の時代には望楼型3重の天守があったが、1585年(天正13年)に伊賀上野城に移築された。その後、豊臣秀保によって高さ約15~20m、5重6階または5重5階の2代目天守が築かれたが、この天守も徳川二条城へ移築されたと伝えられる。なお、この5重の天守については建築学的には否定されてきたが、2014年(平成26年)の調査で天守台に礎石が発見され、存在がほぼ確実となった。
筒井順慶
着工 1580年(天正8年)
1873年(明治6年)
筒井順慶、豊臣秀長、増田長盛
筒井氏、豊臣氏、水野氏、柳沢氏
石垣、堀
国史跡
大手向櫓、東櫓、大手門
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 輪郭式 |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 72.6 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | 望楼型 |
天守の階数 | 5重6階または5重5階 |
天守の種類 | 非現存天守 天守の分類 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 1580年(天正8年)頃の筒井順慶の時代には望楼型3重の天守があったが、1585年(天正13年)に伊賀上野城に移築された。その後、豊臣秀保によって高さ約15~20m、5重6階または5重5階の2代目天守が築かれたが、この天守も徳川二条城へ移築されたと伝えられる。なお、この5重の天守については建築学的には否定されてきたが、2014年(平成26年)の調査で天守台に礎石が発見され、存在がほぼ確実となった。 |
築城主 | 筒井順慶 |
築城開始・完了年 | 着工 1580年(天正8年) |
廃城年 | 1873年(明治6年) |
主な改修者 | 筒井順慶、豊臣秀長、増田長盛 |
主な城主 | 筒井氏、豊臣氏、水野氏、柳沢氏 |
遺構 | 石垣、堀 |
指定文化財 | 国史跡 |
復元状況 | 大手向櫓、東櫓、大手門 |
更新日:2023/12/01 12:08:12
郡山城には「攻城団コラボチラシ」があります。入手場所など詳しくは城メモをご覧ください。
郡山城の見所や歴史などを紹介します。
項目 | データ |
---|---|
アクセス(電車) |
|
アクセス(クルマ) |
|
駐車場 | 無料 |
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。
城メモと重複するスポットは表示していません。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
郡山城について参考になると思われるインターネット上の情報へのリンクです。すべて別ウィンドウが開いて表示されます。
訪問レポートなど、これまで攻城団に公開された関連記事の一覧です。
まだトピックがありません(情報募集中)
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する