別名 大和郡山城、雁陣之城
お知らせ 詳細
大和郡山城は筒井順慶によって築かれた城です。その後は秀吉の実弟である羽柴秀長の居城となりました。江戸時代には譜代大名が歴代城主を務め、柳沢吉里が入封後は柳沢氏が明治維新まで居城としました。大和は石材に乏しい国であったため、天守台の石垣には墓石や地蔵までもが用いられています(これを「転用石」と呼びます)。なかには「逆さ地蔵」と呼ばれる、逆さになった状態で石の間に埋もれている地蔵があります。現在は本丸の石垣や堀が残っており、また大手門、大手東隅櫓、大手向櫓が復元されています。大和郡山城は桜の名所として、日本さくら名所100選にも選定されており、毎年4月1日から行われる「お城まつり」には多くの花見客でにぎわいます。
郡山城を訪問した2083人の報告によれば、平均見学時間は1時間7分、平均評価は3.53点となっています。
目次
郡山城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
郡山城に関するデータ 情報の追加や修正
72.6 m
内郭:-- ha 外郭:-- ha
5重6階または5重5階
---
---
---
1580年(天正8年)頃の筒井順慶の時代には望楼型3重の天守があったが、1585年(天正13年)に伊賀上野城に移築された。その後、豊臣秀保によって高さ約15~20m、5重6階または5重5階の2代目天守が築かれたが、この天守も徳川二条城へ移築されたと伝えられる。なお、この5重の天守については建築学的には否定されてきたが、2014年(平成26年)の調査で天守台に礎石が発見され、存在がほぼ確実となった。
筒井順慶
着工 1580年(天正8年)
1873年(明治6年)
筒井順慶、豊臣秀長、増田長盛
筒井氏、豊臣氏、水野氏、柳沢氏
石垣、堀
国史跡
大手向櫓、東櫓、大手門
登録日:2013/11/17 17:35:49
更新日:2024/12/01 21:11:02
郡山城の見所や歴史などを紹介します。
郡山城へのアクセス情報 情報の追加や修正
無料
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。 フィードバック
郡山城とあわせて訪問するのにオススメのお城です。
郡山城の周辺にあるホテルや旅館を表示しています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
郡山城の周辺3km以内にあるスポットを表示しています。
訪問レポートなど、これまで攻城団に公開された関連記事の一覧です。
郡山城では過去に以下のようなイベントが開催されたり、ニュースが紹介されました(1年以内の情報だけ表示しています)。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する