郡山城
郡山城

[奈良県][大和] 奈良県大和郡山市


  • 平均評価:★★★★☆ 3.51(64位)
  • 見学時間:1時間6分(60位)
  • 攻城人数:1992(79位)

追手向櫓

追手向櫓は本多氏時代には大手先艮角櫓と呼ばれた2重櫓で、追手門を守るために建てられました。
1873年(明治6年)に破却されましたが、1987年(昭和62年)に復元されました。


内側に案内板があります。手前にあるのは多聞櫓です。

追手向櫓(おおてむかいやぐら)
 追手門(梅林門)を守るための櫓で、本多氏時代(一六三九~一七二三年)は大手先艮角櫓(おおてさきうしとらすみやぐら)と呼ばれていました。
追手向櫓と呼ばれるようになったのは、柳沢氏入城後(一七二四年)のことです。
 櫓は明治6年に取りはらわれましたが、記録によると、下重(一階)は4間2尺に5間、上重(二階)は2間四方の二重櫓であったと伝えられています。昭和六二年三月吉日
大和郡山市教育委員会
   

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全国 御城印 大図鑑

御城印を集めるということには、あまり興味なかったのですが、攻城団のはじめての出版本ということで常購入いたしました。購入前の想像を覆す、それぞれの城の簡潔明快な説明文と共に、それぞれの城独自の御城印が面白く、食わず嫌いだったことに反省させられました。多くの人達が夢中になるのも納得です。僕みたいに、あまり御城印に興味なかった人、城に関して興味のなかった人、そしてお城訪問したい初心者にも、とても親切で、新しい世界に招き入れてくれるステキな本を手にしました。次の城からは、御城印に手を出してしまうかもしれない自分を感じます。

片桐且元さん)

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