郡山城
郡山城

[奈良県][大和] 奈良県大和郡山市


  • 平均評価:★★★★☆ 3.54(60位)
  • 見学時間:1時間7分(61位)
  • 攻城人数:2081(79位)

追手向櫓

追手向櫓は本多氏時代には大手先艮角櫓と呼ばれた2重櫓で、追手門を守るために建てられました。
1873年(明治6年)に破却されましたが、1987年(昭和62年)に復元されました。


内側に案内板があります。手前にあるのは多聞櫓です。

追手向櫓(おおてむかいやぐら)
 追手門(梅林門)を守るための櫓で、本多氏時代(一六三九~一七二三年)は大手先艮角櫓(おおてさきうしとらすみやぐら)と呼ばれていました。
追手向櫓と呼ばれるようになったのは、柳沢氏入城後(一七二四年)のことです。
 櫓は明治6年に取りはらわれましたが、記録によると、下重(一階)は4間2尺に5間、上重(二階)は2間四方の二重櫓であったと伝えられています。昭和六二年三月吉日
大和郡山市教育委員会
   

この記事をいろんなキーワードで分類してみましょう。

この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

郡山城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

猛将妄想録 1 (電撃ジャパンコミックス)

いまでも定期的に読み返す一冊。たまたま見かけたこの本のおかげで攻城団にマンガという武器が加わったと思うと感慨深いです。攻城団で発表した作品を収録した続刊も出版したいと思ってます。

こうの)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る