追手向櫓は本多氏時代には大手先艮角櫓と呼ばれた2重櫓で、追手門を守るために建てられました。
1873年(明治6年)に破却されましたが、1987年(昭和62年)に復元されました。
内側に案内板があります。手前にあるのは多聞櫓です。
追手向櫓(おおてむかいやぐら)
追手門(梅林門)を守るための櫓で、本多氏時代(一六三九~一七二三年)は大手先艮角櫓(おおてさきうしとらすみやぐら)と呼ばれていました。
追手向櫓と呼ばれるようになったのは、柳沢氏入城後(一七二四年)のことです。
櫓は明治6年に取りはらわれましたが、記録によると、下重(一階)は4間2尺に5間、上重(二階)は2間四方の二重櫓であったと伝えられています。昭和六二年三月吉日
大和郡山市教育委員会